人形町草市とは
人形町草市とは、東京都中央区の日本橋人形町でかつて立った、お盆の盆飾りや盆花を売る「草市(くさいち)」のことです。草市は盆市(ぼんいち)とも呼ばれ、ご先祖を迎えるお盆の支度品をそろえる、夏の年中行事でした。明治時代の東京では、人形町はこの草市が立つ代表的な場所のひとつに数えられていました。
ひとつ先回りしておくと、現在の人形町商店街が案内する季節の市はせともの市・人形市・べったら市で、ここに草市は入っていません。今の人形町で「草市」という名の市が立つとは確認できないため、ここでは主に明治期までの歴史・年中行事として紹介します。
草市とは何を売る市だったのか
草市は、もともと旧暦7月12日の夜から13日の朝にかけて各地で開かれた、お盆のための市です。盂蘭盆(うらぼん)の仏前に供える草花や飾り物を売ったことから、草市と呼ばれました。盆市・花市という別名もあります。
並んだのは、盆提灯や灯籠、桔梗やみそはぎ、ほおずきといった盆花。さらに、ご先祖の霊が乗る乗り物に見立てたなすやきゅうりの牛馬飾り、精霊棚に敷く真菰(まこも)、迎え火や送り火に使う苧殻(おがら)などが商われました。いわば、お盆の支度をひと通りそろえられる場だったわけです。
人形町と草市の関わり
人形町は江戸の頃から、季節ごとに市が立つ町でした。正月の手鞠や羽子板、3月の雛人形、5月の菖蒲人形と、折々の品を商う賑わいが根づいた町。夏のお盆どきに草市が立つのも、その延長線上にあったといえるでしょう。
百科事典の記述では、明治時代の東京で7月12日に草市が開かれた場所として、人形町が両国広小路や上野広小路などと並んで挙げられています。売れ残った品は翌13日に八丁堀や薬研堀の朝市へ持ち寄られたとも伝わるそうです。人形町は、当時の東京の盆支度を支える市のひとつだったといえそうですね。
べったら市や歳の市との違い
同じ人形町界隈の市でも、草市は時期も中身も別物です。べったら市は秋(10月)に宝田恵比寿神社のあたりで立つ、べったら漬けで知られる市。草市は夏のお盆に向けた盆飾りの市で、季節が違います。
年末の歳の市とも混同しやすいところです。歳の市は正月用品をそろえる年末の市で、お盆の支度をする夏の草市とはちょうど対になります。なお、ここでいう日本橋人形町は東京都中央区。大阪の日本橋(にっぽんばし)とは関係ありません。
Topic「草市」の名は今どこに残っている?
人形町の草市は明治期の記録に名を残しますが、現在の人形町の市の案内に草市は出てきません。いっぽう、同じ中央区でも月島では「月島草市」として名前が受け継がれ、西仲通り(もんじゃストリート)でほおずきや苧殻(おがら)など盆用品を売る市として知られてきました。ただ近年は人手不足などを理由に中止が続いており、令和7(2025)年も中止が伝えられています。お盆の支度を市でそろえるという暮らしの習慣が、少しずつ姿を変えてきたことがうかがえます。
人形町草市に関するよくある質問
- なぜ「草」市と呼ぶのですか。
- 盆花や草物と呼ばれる植物の飾り物を多く売ったことにちなむとされます。ただし語源を断定する権威ある記述は乏しく、諸説あります。盆市・花市という別名もあります。
- 人形町草市と月島草市は同じものですか。
- 別のものです。人形町草市は明治期の人形町に名を残す草市で、月島草市は中央区月島の西仲通りで知られてきた草市です。現在「草市」の名で語られるのは主に月島のほうですが、近年は中止が続いています。
- 草市はいつ開かれた市ですか。
- もとは旧暦7月12日の夜から13日の朝にかけて開かれた、お盆を迎えるための市でした。新暦の7月や8月の盆に合わせる地域もあります。年末に正月用品をそろえる歳の市とは、季節が対になる存在です。
