兜町の金融街が変わる?歴史から2020年以降の街づくり再開発・ウォール街化

こんにちは!とーんと♡日本橋編集部です。
東京・中央区に、長く「日本のウォール街」と呼ばれてきた街があります。日本橋兜町(かぶとちょう)です。東京証券取引所が置かれ、日本の金融の中心地として知られてきたエリアになります。
その兜町が、2020年前後から大きく姿を変えつつあります。かつては平日の昼間だけ人が行き交う「金融マンの街」でしたが、いまではホテルやカフェ、ブルワリーが並び、休日に歩いても楽しい街へと表情を変えてきました。この記事では、兜町がどんな歴史をたどり、なぜ一度は活気を失い、そしていまどのように生まれ変わろうとしているのかを、編集部が公開情報をもとに整理してお伝えします。「金融街」というひと言だけでは見えてこない兜町の現在地が、読み終えるころには立体的に見えてくるはずです。
兜町ってどんな街?「日本のウォール街」と呼ばれた金融街
まずは兜町という街の輪郭から押さえておきましょう。場所は東京都中央区、日本橋エリアの南東側にあたり、隅田川にもほど近い一帯です。隣り合う茅場町(かやばちょう)とセットで「兜町・茅場町」とまとめて呼ばれることもよくあります。広さでいえば歩いて十数分で一回りできるほどの、こぢんまりとした街です。
「兜町」という地名の由来
兜町という地名には、どこか勇ましい響きがあります。この一帯は江戸時代初期の埋め立てによってできた土地で、地名の由来にはいくつかの説が伝えられています。よく知られているのは、戦国の世に甲冑(かぶと)づくりにゆかりのある場所だったとする説です。ほかにも、土地の鎮守として祀られてきた兜神社の名にちなむという見方もあり、地名のルーツは一つに定まっているわけではありません。
はっきりしているのは、武具の名を受け継いだこの街が、のちに日本経済の最前線になったという事実です。武士の時代の名残をとどめた地名が、近代以降は金融の街の看板になった。その意味の移り変わり自体が、兜町という街の面白さの入り口だといえます。
東京証券取引所のおひざ元として育った街
兜町が金融街になった決め手は、東京証券取引所の存在です。その源流をたどると、1878年(明治11年)に設立された東京の株式取引所に行き着きます。明治政府が近代化を進めるなかで、欧米にならった証券取引のしくみが日本に持ち込まれ、その舞台に選ばれたのが兜町でした。
取引所ができると、その周りに証券会社や仲買人が次々と集まってきます。取引所の値動きをいち早くつかみたい人にとって、取引所のそばに店を構えること自体が大きな強みだったからです。こうして兜町は、全盛期には1,000社を超える証券会社が集まったとされる、国内随一の金融街へと育っていきました。「日本のウォール街」という呼び名が定着したのも、この時代です。1980年代後半のいわゆるバブル経済の時期には、東京の株式市場が世界最大級の規模に達したこともあり、兜町は文字どおり世界が注目する街でした。
もっとも、その道のりは平坦ではありませんでした。1923年の関東大震災では取引所の建物も大きな被害を受け、再建を経て街はふたたび立ち上がります。戦後の高度経済成長期には、午前と午後の取引時間に合わせて街全体が動くような独特のリズムが生まれました。取引が始まれば人が一斉に動き出し、昼休みには近くの飲食店や喫茶店が金融関係者でにぎわう。兜町は金融取引の場であると同時に、ひとつの濃密な暮らしの文化を持つ街でもあったのです。この時代の街の記憶が、のちの再開発で「歴史を生かす」という発想につながっていきます。

ひと目でわかる兜町(2026年5月時点)
- 場所:東京都中央区日本橋兜町・茅場町(日本橋エリアの南東側)
- 街の顔:東京証券取引所が置かれる、日本を代表する金融街
- 別名:「日本のウォール街」
- いまの姿:2020年前後から再開発が進み、ホテル・カフェ・文化施設が増えてきた
渋沢栄一と第一国立銀行が残したもの
兜町の歴史を語るうえで欠かせない人物がいます。一万円札の顔としても知られる渋沢栄一です。じつは兜町は、渋沢が手がけた日本の近代金融の出発点ともいえる場所でした。
日本初の銀行「第一国立銀行」の誕生
1873年(明治6年)、日本で最初の銀行である「第一国立銀行」が兜町に創立されました。「国立」と名が付きますが、国が直接運営する銀行という意味ではなく、国の法律にもとづいて設立された民間の銀行を指します。当時の建物は、海運橋のたもとに建った和洋折衷の堂々たる建築で、「三井組ハウス」と呼ばれて人々の目を引いたと伝えられています。
銀行ができ、ほどなく取引所も生まれる。第一国立銀行の誕生は、兜町が金融街として歩み出す最初の一歩でした。お金を預け、貸し、株式をやり取りするという近代的なしくみが、この小さな街から日本中へ広がっていったのです。
「日本資本主義の父」渋沢栄一とのつながり
第一国立銀行の設立を中心になって進めたのが渋沢栄一でした。渋沢は生涯におよそ500もの企業の設立に関わったとされ、「日本資本主義の父」と呼ばれています。銀行や株式会社という、それまでの日本にはなかった枠組みを根づかせた立役者であり、その活動の拠点の一つが兜町だったわけです。
兜町を歩くと、いまも渋沢栄一にちなんだ碑や案内が点在しています。「金融街」と聞くと無機質なオフィス街を思い浮かべるかもしれませんが、その足もとには、日本の近代がはじまった場所としての物語が静かに積み重なっています。
渋沢栄一の足跡をもっと知りたい方へ
兜町と渋沢栄一のつながりや、屋敷・事務所にまつわる話は、兜町と渋沢栄一の関係をまとめた記事でくわしく紹介しています。街歩きの前に読んでおくと、見える景色が少し変わるはずです。
兜町はなぜ静かになったのか|金融街の構造的な変化
国内随一の金融街として栄えた兜町ですが、ある時期から街の活気はゆるやかに失われていきます。「再開発」の話に入る前に、なぜ街が静かになったのかを押さえておくと、いま起きている変化の意味がぐっとわかりやすくなります。
電子取引の普及と「物理的な近さ」の価値低下
大きな転機になったのが、株式取引のデジタル化です。2010年、東京証券取引所は「arrowhead(アローヘッド)」と呼ばれる次世代の取引システムを導入しました。高速かつ大量の注文をさばけるこのしくみによって、売買のほとんどがコンピューター上で完結するようになります。
かつての兜町は、「歩けば情報が手に入る街」でした。証券マンが他社をたずね歩き、対面で値段や相場観をやり取りする。その情報のやり取りの速さこそが、兜町に集まる理由でした。ところが取引が電子化されると、取引所のそばにいる必要は薄れていきます。高い家賃を払って兜町にオフィスを構える意味が、急速に小さくなっていったのです。証券会社は、より新しく便利なオフィスを求めて、大手町や丸の内など別のエリアへと移っていきました。
2010年代に進んだ街の空洞化
こうした流れが重なり、2010年代の兜町では証券会社の数が最盛期から大きく減りました。オフィスが抜けた建物には空きが目立ちはじめ、夕方を過ぎると人通りもまばらになります。古いビルが多く、耐震性の面から建て替えや移転が課題になっていたことも、街の停滞に拍車をかけました。2011年の東日本大震災のあとは、建物の安全性への意識がいっそう高まり、新しいビルへ移る動きが続いたとされます。働く人が減り、建物が空き、街の活気がさらに薄れる。そんな循環のなかで、兜町は長く出口を探し続けることになりました。
「日本のウォール街」という華やかな過去があるだけに、その対比で兜町は実際以上にさびれた街のように語られることも増えていきました。ただ、ここで一つ注意しておきたい点があります。

2020年以降に動き出した再開発|平和不動産の街づくり
静かになっていた兜町に、ふたたび人の流れを呼び戻そうとする動きが本格化したのが2010年代の後半から2020年代にかけてです。その中心にいるのが、兜町に古くから縁の深い不動産会社、平和不動産です。まずは、ここ10年あまりの主な動きを整理しておきましょう。
| 時期 | 兜町・茅場町で起きた主な動き |
|---|---|
| 2017年 | 平和不動産が「日本橋兜町・茅場町の街づくり」プロジェクトを発表 |
| 2019年 | 古い建物を生かした複合施設「HOTEL K5」が開業 |
| 2021年 | 街のシンボルとなる複合ビル「KABUTO ONE」が開業 |
| 2025年 | 「キャプション by Hyatt 兜町 東京」が開業 |
| 2026年春 | 街なかでアートイベントが開催されるなど、文化の発信が続く |
「金融・文化複合型街区」という構想
平和不動産が2017年に発表した街づくりプロジェクトは、単にビルを建て替えるだけのものではありませんでした。掲げられたのは、兜町を「金融・文化複合型街区」へとつくり変えるという構想です。金融街としての歴史を土台にしながら、そこに食や文化、宿泊といった機能を重ねていく。そうやって、平日の昼だけでなく朝も夜も休日も人が訪れる街を目指す、という方向性でした。
この街づくりには「投資を、そして感性を一歩先へ。この街から、新しい風を。」という言葉が掲げられています。金融という街の個性を消すのではなく、そこに新しい感性を足し算していく姿勢が、短い言葉によく表れています。掲げられた金融関連の機能は、大きく3つの柱で整理されています。
街づくりの考え方やタグラインについては、平和不動産の街づくりタグラインを紹介した記事でもう少しくわしく取り上げています。あわせて読むと、再開発の「狙い」が見えてきます。

街のシンボル KABUTO ONE
再開発の象徴的な存在が、2021年に開業した複合ビル「KABUTO ONE(カブトワン)」です。茅場町駅と直結する立地で、オフィスのほか、大規模なホールや会議室、飲食店などが入っています。特徴的なのは、低層部に吹き抜けの空間が設けられ、株価などの情報を映し出す大きなデジタルの仕掛けが置かれている点です。金融街らしい雰囲気を、来街者が体感できる場としてデザインされています。
ホールや会議室では、これまでにもさまざまなイベントが開かれてきました。たとえば日本酒をテーマにしたフェスが行われたこともあり、その様子はKABUTO ONEで開催された和酒フェスのレポート記事でも紹介しています。かつて取引所と証券会社しかなかった街に、人が集い交流する「広場」のような場所が生まれたことになります。
古い建物を生かしたホテルと新しい店
兜町の再開発が面白いのは、新しいビルを建てるだけでなく、古い建物を壊さずに生かす手法が随所に見られる点です。その代表が、2019年に開業した複合施設「HOTEL K5」。大正期(1920年代)に建てられた銀行建築をリノベーションしたもので、歴史を感じさせる建物の中に、ホテルやレストラン、バー、カフェが同居しています。金融街の記憶を残した空間で過ごせるという点が、国内外の旅行者から注目を集めてきました。
2025年10月には、新しい宿泊施設「キャプション by Hyatt 兜町 東京」も開業しました。ホテルが複数できたことは、兜町が「働く街」から「訪れて泊まる街」へと役割を広げつつあることのわかりやすい証拠です。
飲食の面でも、街の表情は変わりました。スペシャルティコーヒーの店や、できたてのお酒を味わえる醸造所などが点在し、平日のランチや休日の散策の選択肢が増えています。たとえば、どぶろくの醸造所が兜町にあることをご存じでしょうか。その魅力は兜町のどぶろく醸造所を紹介した記事にまとめています。なお、こうした店の営業時間や定休日は変わることがあるため、訪れる前に各店の公式サイトやSNSで最新情報を確認しておくと安心です。
さらに、2026年春には街なかでアートのイベントも開かれるなど、金融街という枠を越えた文化の発信も続いています。「金融・文化複合型街区」という構想が、少しずつ目に見える形になってきていると感じられる場面が増えてきました。

兜町と日本橋エリア|一体で進む街の更新
兜町の変化は、この街だけで完結しているわけではありません。となりの茅場町を含めた「兜町・茅場町」一体で街づくりが構想されているうえ、視野を広げると、日本橋エリア全体が同じ時期に大きく更新されつつあります。
たとえば日本橋の中心部では、大規模な再開発が複数進行しています。日本橋一丁目の街区でも高層の複合ビルを核とした再開発が動いており、その内容は日本橋一丁目の再開発をまとめた記事で取り上げています。さらに、日本橋川の上を覆う首都高速道路を地下化し、川沿いの景観を取り戻そうとする事業も進められています。
こうした動きのなかに兜町の再開発を置いてみると、見え方が変わります。兜町は点ではなく、日本橋という面の更新の一部として進んでいる。歴史ある街並みを生かしながら、川や緑、歩いて楽しい空間を取り戻していく。その大きな流れの一翼を、金融発祥の地である兜町が担っているわけです。

「兜町だけ」で見ないのがコツ
兜町の再開発は、茅場町を含む「兜町・茅場町」一体で構想され、さらに日本橋エリア全体の更新と同じ時期に進んでいます。日本橋一丁目などの再開発や、日本橋川沿いの景観を取り戻す動きとあわせて眺めると、街がつながって生まれ変わっていく流れが見えてきます。
「日本のウォール街」と呼ばれてきた兜町をどう捉えるか
兜町を語るとき、ほぼ必ず登場するのが「日本のウォール街」という呼び名です。便利な言葉ではありますが、これだけで兜町を理解した気になると、かえって街の本当の姿を見落としてしまいます。比較の意味と、その限界を整理しておきましょう。
そもそもウォール街は、アメリカ・ニューヨークの金融街の通称です。証券取引所や大手金融機関が集まる点では、兜町と確かに似ています。ただ、両者は育ち方も、いま向かっている方向も少しずつ異なります。同じ観点でならべてみると、その違いがはっきりします。
| 観点 | 兜町(東京) | ウォール街(ニューヨーク) |
|---|---|---|
| 成り立ちの背景 | 明治政府の近代化政策のもとで形づくられた | 市場の動きのなかで自然に発展してきた |
| 国の関与の度合い | 国の制度設計と結びつきが強い | 民間主導の色合いが強い |
| 歴史の連続性 | 繁栄と停滞の波が比較的はっきりしている | 長く金融の中心であり続けてきた |
| 現在の街の性格 | 金融に文化・宿泊・食を重ねた複合的な街へ | 金融機能を軸にした街であり続ける |
| 再開発の方向性 | 歴史的建物の活用と文化の発信を重視 | 安全性や機能面の更新が中心 |
つけ加えると、金融街が新しい姿を模索しているのは兜町だけではありません。ロンドンのシティをはじめ、世界の歴史ある金融街でも、オフィス一辺倒の街から文化や住まいの機能を備えた街へと再生を図る動きが知られています。デジタル化で「集まる理由」が問い直されるなか、街としての魅力をどう高めるか。兜町の挑戦は、その世界共通の問いに対する日本なりの一つの答えだと捉えることもできます。

こうして並べると、「日本のウォール街」という呼び名は街の入り口の説明としては役立つものの、兜町の固有の魅力までは説明しきれないことがわかります。武具の名を受け継いだ地名、渋沢栄一が近代金融を立ち上げた場所、そして金融街でありながら文化やもてなしの機能を取り込もうとしている現在地。これらは、ウォール街という物差しだけでは測れません。「日本のウォール街」と呼ぶことから一歩進んで、兜町ならではの物語として街を眺めてみると、散策はぐっと豊かになります。
兜町の歩き方|歴史と新しさが同居する街を楽しむ
ここまで読むと、兜町を実際に歩いてみたくなった方もいるのではないでしょうか。最後に、街歩きのヒントを編集部の視点でまとめておきます。
アクセスは良好です。最寄りは東京メトロ日比谷線・東西線の茅場町駅で、KABUTO ONEは駅と直結しています。日比谷線の八丁堀駅や、日本橋方面からも徒歩圏内です。日本橋の中心部から南東へ少し歩けば、街の空気が金融街らしい落ち着いたものに変わっていくのを感じられます。
兜町の散策で味わいたいのは、歴史と新しさが同居する感覚です。渋沢栄一ゆかりの碑をたどりながら、リノベーションされた建物のカフェでひと息つき、KABUTO ONEで街の今を眺める。そんな小さな回遊が似合う街になっています。
- 平日の昼はオフィス街として、休日は静かな散策コースとして、時間帯で表情が変わる街だと知っておく
- 古い建物を生かしたカフェやホテルは、外観だけでも見て回る価値がある
- 渋沢栄一や兜神社など、街なかの碑や案内板に目を向けると歴史が立ち上がってくる
- 店の営業時間・定休日は変わることがあるため、訪れる前に公式サイトやSNSで確認しておく
街歩きの合間に立ち寄れるカフェは、日本橋兜町の人気カフェを紹介した記事が参考になります。車で訪れたい方は兜町の駐車場情報をまとめた記事を、街の歴史をもう少し深掘りしたい方は兜町の鳥居稲荷神社を取り上げた記事もあわせてどうぞ。

よくある質問(FAQ)
Q. 兜町の再開発で、街は何が変わるのですか?
A. 兜町の再開発では、金融街という性格を残しながら、ホテル・カフェ・文化施設などの機能が加わってきました。平和不動産が掲げる「金融・文化複合型街区」という構想のもと、平日の昼だけでなく朝・夜・休日も人が訪れる街へと変わりつつあります。KABUTO ONEのような複合ビルの開業や、古い建物を生かしたホテルの誕生が、その代表的な変化です。
Q. 兜町で東京証券取引所を見学することはできますか?
A. 東京証券取引所はいまも兜町にあり、見学用のスペースが設けられています。ただし、見学の受付方法・対象・時間などは変わることがあります。訪れる予定がある場合は、東京証券取引所の公式サイトで最新の見学案内を確認してください(2026年5月時点・要確認)。
Q. なぜ兜町は「日本のウォール街」と呼ばれるのですか?
A. 兜町には1878年(明治11年)に設立された東京の株式取引所が置かれ、その周りに多くの証券会社が集まりました。証券取引所と金融機関が密集する街であることから、アメリカ・ニューヨークの金融街になぞらえて「日本のウォール街」と呼ばれるようになりました。ただし両者は成り立ちや街の性格が異なるため、この呼び名はあくまで入り口の説明として捉えるのがおすすめです。
Q. 兜町と茅場町は、どう違うのですか?
A. 兜町と茅場町は、どちらも東京都中央区にある隣り合った街です。歴史的に金融街として一体的に発展してきた経緯があり、再開発も「兜町・茅場町」とまとめて構想されています。厳密には別々の町名ですが、街歩きの感覚としては地続きのエリアと考えてよいでしょう。最寄りの茅場町駅は、両方の街への入り口になります。
Q. 兜町は東京の日本橋ですか?大阪の日本橋とは違いますか?
A. この記事で紹介している兜町は、東京都中央区の日本橋(にほんばし)エリアにあります。大阪市にも読み方の異なる「日本橋(にっぽんばし)」という地名がありますが、兜町や東京証券取引所があるのは東京の日本橋のほうです。金融街・兜町の話題は、すべて東京都中央区のことだと考えてください。
Q. 兜町を訪れるなら、いつ・どんな時間帯がおすすめですか?
A. 兜町はオフィス街のため、平日の昼は働く人で街が動き、休日や平日の夜は落ち着いた雰囲気になります。街並みや建物をゆっくり眺めて散策したい場合は、休日の日中が歩きやすいでしょう。一方、カフェや飲食店のにぎわいを楽しみたい場合は、店舗の営業日を公式サイトで確認したうえで訪れるのがおすすめです。
武具の名を受け継ぎ、渋沢栄一が近代金融の礎を築き、一度は静けさをまとった兜町。その街が、歴史を生かしながら新しい表情を重ねていく姿は、日本橋エリアの「これから」を考えるうえでも見どころの多いテーマです。次に日本橋を訪れる際は、少し足をのばして、変わりゆく金融街の今を歩いてみてはいかがでしょうか。
