人形市とは

人形市とは、雛人形や五月人形といった節句の人形を売る市のことで、日本橋では大きく2つを指します。ひとつは江戸時代に十軒店(じっけんだな)で立った、江戸随一とうたわれた節句人形の市。もうひとつは、現代の人形町通りで秋に開かれてきた「にんぎょうちょうの人形市」です。同じ名前でも会場も時代も異なるので、まずはこの2つを分けて見ていきます。

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江戸の名所だった十軒店の人形市

江戸時代、日本橋から北へ延びる大通り沿いに十軒店という町がありました。今の日本橋室町三丁目、本石町に挟まれたあたりです。節句に合わせて人形を売る仮店が十軒並んだことが地名の由来とされています。

ここでは季節ごとに市が立ちました。2月末から3月の桃の節句には雛人形を売る雛市、4月末から5月の端午の節句には五月人形や幟を売る冑(かぶと)市、12月には破魔弓や羽子板の市。なかでも雛市はよく知られ、寛政年間(1789〜1801年)には出店が41軒に達したと伝わります。

ところが明治の後半、三越などの百貨店が雛人形を定価で売り始めると、値段交渉で買うのが当たり前だった昔ながらの市は次第に敬遠されていきます。十軒店の人形店の多くは関東大震災を境に姿を消し、最後まで残った人形店が閉じたのは平成に入ってからでした。現在この一帯にはCOREDO室町テラスが建ち、「十軒店跡」の案内板が往時を伝えています。

名を受け継ぐ「にんぎょうちょうの人形市」

一方、現代の人形市は少し南の人形町が舞台です。「にんぎょうちょうの人形市」は2006年に人形町商店街協同組合が始めた市で、例年秋(10月末から11月初め)に3日間、人形町通りの歩道にテントが並び、全国からおよそ40店舗が人形や関連の品を販売・展示してきました。人形作家の実演やワークショップ、人形町のキャラクター「人之助(にんのすけ)」のグッズなども登場します。

あわせて大観音寺では、護摩を焚いて古い人形を弔う人形供養も行われます。役目を終えた人形をきちんと見送れるのが、人形にゆかりの深いこの町らしいところでしょう。なお2025年度は中止が告知されました(2026年6月時点、人形町商店街公式サイト確認)。お出かけ前には開催の有無を確認しておくと安心です。

同じ名前でも別物、ここに注意

ふたつの人形市は、名前は同じでも時代も場所も違う別物です。江戸の十軒店の市は室町・本石町(旧十軒店)で立った歴史上のもので、今はもうありません。現代の市は、そこから南の人形町で続いてきました。旧町名「十軒店」と現在の「日本橋室町」のズレも、押さえておくと混乱しません。会場の日本橋は東京都中央区で、大阪の日本橋(にっぽんばし)とは関係ありません。

Topic江戸一の雛市はどれくらいにぎわった?

十軒店の雛市は、ただ大きいだけではありませんでした。江戸時代の観光ガイド『江戸名所図会』(天保5年・1834年)は、尾張町や浅草、池之端などの雛市を挙げたうえで「十軒店には及ばなかった」と記し、ここを江戸随一の雛市と認めています。挿絵には、仮設の小屋に内裏雛や雪洞、屏風が並び、雛を眺める武士や鯛を売る魚売り、振袖の子どもまで描かれ、節句前の通りのにぎわいが生き生きと伝わってきます。人形を定価ではなく値段交渉で買っていた時代ならではの、活気ある市の姿です。

人形市に関するよくある質問

そもそも、なぜ人形町という名前なのですか。
江戸時代、この界隈には中村座・市村座といった芝居小屋や人形浄瑠璃があり、人形を作る職人や土産の人形細工を売る店が集まったことに由来するとされています。人形にゆかりの深い土地だからこそ、人形市が開かれるわけです。
現代の「にんぎょうちょうの人形市」はいつから始まったのですか。
2006年に人形町商店街協同組合が始めました。当時「人形町」という名前にちなんだ催しがなかったことから、町と人形文化のつながりに立ち返る趣旨で企画されたとされています。
今も江戸時代のような雛市が日本橋で見られますか。
江戸の十軒店で立った雛市そのものは、明治以降に消えて再現はされていません。雛人形を売る市の系譜という意味では、秋の人形市が現代の人形町に受け継がれた形といえます。雛祭りの時期の市ではない点に注意です。
人形町のせともの市や歳の市とは別のイベントですか。
別の催しです。せともの市は夏(8月初め)の陶器市、歳の市は年末の市で、秋の人形市とは時期も扱う品も異なります。人形町通りでは季節ごとに違う市が開かれてきました。

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