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中央区立東華小学校とは

中央区立東華小学校とは、明治34年(1901年)に開校し、平成2年(1990年)に閉校した、日本橋人形町一丁目にあった区立小学校です。約90年にわたり地域の子どもたちを育てました。

閉校の際に十思小学校と統合し、中央区立日本橋小学校の前身校の一つとなりました。跡地は、ちょうど現在の日本橋小学校の場所。あの校地には、東華小学校の開校から数えて120年以上の学びの歴史が積み重なっているわけです。

中央区立東華小学校の歴史

東華小学校は明治34年(1901年)、現在の日本橋人形町一丁目1番17号にあたる場所で開校しました。

その後、児童数の減少に伴う区立小学校の適正配置計画により、平成2年(1990年)4月1日、明治10年(1877年)創立の十思小学校(日本橋小伝馬町)と閉校のうえ統合されます。

統合で生まれた中央区立日本橋小学校は、平成6年(1994年)3月に新校舎へ移るまで、東華小学校の校舎をそのまま使って授業を続けました。校舎は閉校後も4年間、子どもたちを見守り続けたことになります。

校名「東華」の由来

校名の「東華(とうか)」は、かつて近くにあった掘割「稲荷堀(とうかんぼり)」にちなむという説もある、というご情報を、地元の方からとーんと♡日本橋へいただきました。

堀そのものは現在残っていませんが、日本橋蛎殻町から日本橋小網町にかけて「とうかん堀通り」という道路の愛称が今も残っています。「とうか」と「とうかん」、音の近さもどこか気になるところでしょう。通り沿いには中央区教育委員会の「稲荷堀跡」の説明板もあり、学校名とあわせて水の街の記憶をたどれます。

跡地は日本橋小学校へ

東華小学校の跡地には、現在は中央区立日本橋小学校と日本橋図書館などが入る建物が立っています。学校の名前は変わっても、学びの場は同じ場所で続いてきました

さらにさかのぼると、ここは明治4年(1871年)に西郷隆盛が上京して参議に就任した際、屋敷を構えた地。書生15人・下男7人が住み、猟犬を数頭飼っていたといわれ、現在は西郷隆盛屋敷跡として知られています。

日本橋トピック♪東京都知事を務めた青島幸男さんも通っていた?

東華小学校には、のちに東京都知事を務めた青島幸男さん(1932年〜2006年)が在校していた、ただし卒業まではしていない、というご情報を、とーんと♡日本橋へいただきました。

青島さんは現在の日本橋堀留町の生まれ。「スーダラ節」の作詞で知られる放送作家で、1981年(昭和56年)に小説『人間万事塞翁が丙午』で直木賞を受賞し、1995年(平成7年)から1999年(平成11年)にかけて東京都知事を務めました。母校の一つとされる東華小学校は、まさに地元・日本橋の学校だったわけですね。

この用語は地元の方の情報をもとに、編集部が確認・編集しています。

中央区立東華小学校に関するよくある質問

統合相手の十思小学校の校舎はどうなりましたか?
日本橋小伝馬町に現存し、複合施設「十思スクエア」として活用されています。関東大震災後の復興小学校として建てられた建物で、別館には小伝馬町牢屋敷展示館などが入っています。
東華小学校と十思小学校はどちらが古いですか?
十思小学校の方が古く、明治10年(1877年)の創立です。東華小学校は明治34年(1901年)創立で、統合の時点でそれぞれ約113年と約89年の歴史を重ねていました。
なぜ東華小学校は閉校になったのですか?
児童数の減少を受けた中央区立小学校の適正配置計画が理由です。廃止して終わりではなく、十思小学校との統合で新しい学校をつくる形が取られました。

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