西郷隆盛屋敷跡とは
西郷隆盛屋敷跡とは、明治維新の中心人物である西郷隆盛が、上京した時期に屋敷を構えていた場所の跡で、現在の東京都中央区日本橋人形町にあります。屋敷の建物はもう残っておらず、跡地には日本橋小学校(日本橋図書館を併設)が建ち、植え込みのなかに置かれた説明板が往時を静かに伝えています。
なぜ人形町に西郷の屋敷があったのか
薩摩から来た西郷が、なぜ商家の多い日本橋の一角に住んだのでしょう。きっかけは、明治4年(1871年)の上京でした。新政府の参議に就いたころ、この地に屋敷を構えたと伝わります。参議は、いまでいえば国の政治を動かす中心メンバーのような役職。
当時の屋敷には書生15人・下男7人が住み込み、さらに猟犬を数頭飼っていたと伝わります。薩摩から出てきた人々が大勢で暮らす、にぎやかな住まいだったようです。西郷はその後、明治6年(1873年)の政変で職を辞して鹿児島へ帰っており、人形町に腰を据えたのはわずかな期間でした。
「屋敷跡」と聞いて取り違えやすい点
ここで気をつけたいのは、建物や庭などの遺構は何も残っていないという点です。現地にあるのは説明板だけで、跡地は小学校になっています。「屋敷跡」という言葉から立派な建物を思い浮かべると、実際の静かなビル街・学校の風景とのギャップに戸惑うかもしれません。
また西郷は各地に住まいを移しており、ここは数ある住まいのひとつ。「西郷が人形町で暮らした時期があった」という事実を伝える地点、と捉えると分かりやすいでしょう。
Topic人形町の屋敷でも数頭の犬と暮らした「愛犬家・西郷」
説明板には、この屋敷で猟犬を数頭飼っていたと記されています。西郷は無類の愛犬家として知られ、上野公園に立つ有名な銅像も、犬を連れた姿でつくられました。名前のわかる犬だけでも十数頭、東京では多くの犬を飼っていたとも伝えられています。政治の中心にいた人物が、住まいでは犬たちと過ごしていたと思うと、像の犬がぐっと身近に感じられます。
西郷隆盛屋敷跡に関するよくある質問
- 上野の西郷さんの銅像が犬を連れているのと、この屋敷跡は関係がありますか?
- 像そのものとの直接の関係はありませんが、西郷が大の犬好きだった点でつながります。この屋敷でも猟犬を数頭飼っていたと記録され、愛犬家としての一面がうかがえます。
- 西郷隆盛ゆかりの地は、ここ以外にもあるのですか?
- 西郷は各地に住まいを移しており、ここはそのひとつです。中央区内で西郷の住まいを今に伝える数少ない場所として、説明板が残されています。
