三井高利とは
三井高利とは、伊勢松坂(現在の三重県松阪市)に生まれた江戸時代の商人で、日本橋の駿河町(今の日本橋室町)で呉服店「越後屋」を大きく育て、現在の三越や三井グループの礎を築いた人物です。生まれは元和8年(1622年)、亡くなったのは元禄7年(1694年)で、享年73でした。
越後屋を開き、日本橋で商いを広げる
高利が江戸に呉服店「越後屋」を開いたのは、延宝元年(1673年)、52歳のときでした。はじめは江戸本町一丁目にありましたが、天和3年(1683年)に駿河町へ店を移します。この駿河町こそ、今の日本橋室町にあたる場所です。
同じ年、越後屋は両替店(今でいう銀行や両替商のような金融業)もあわせて始めます。やがて江戸・京都・大阪の三都に店を構え、幕府のお金を動かす御用も任されるほどに成長しました。呉服と金融、二本柱の大きな商いを一代で築いた人物だったのです。
何が新しかったのか、当時の常識との違い
江戸時代の呉服商は、大名や武家のお屋敷へ出向いて品物を見せる「屋敷売り」が普通でした。代金は6月と12月にまとめて受け取る「掛け売り」(今でいうツケ払い)。その分の手間や利息が、値段に上乗せされていたのです。
高利はこれを大きく変えます。店先に品物を並べ、誰に対しても正札(しょうふだ=定価)をつけてその場で現金で売る「現金掛値なし」を打ち出しました。値引き交渉やツケをなくしたことで資金の回りが速くなり、品物を安く売れるようになります。さらに、一反単位で売るのが当たり前だった反物を客が必要な分だけ切って売る「切り売り」も始めました。武家でなくても気軽に呉服を買えるようにした、という点が新しかったのです。
高利の商いは今どこに残っているか
越後屋の屋号はのちに「三越」へと受け継がれ、駿河町から続く日本橋三越本店として今も日本橋室町で営業中です。注意したいのは、創業の1673年と現在の建物や場所がそのままつながっているわけではない点。店は移転や建て替えを重ねているので、「越後屋から続くお店」という歴史のつながりとして受け止めるとよいでしょう。日本橋室町を歩くなら、ここが日本の商売の工夫が生まれた場所だと知っておくと、街の見え方が少し変わるかもしれません。
Topic「現金掛値なし」は、なぜそんなに画期的だったの?
今では値札がついていて、現金で買うのは当たり前です。けれど高利が越後屋を開いた頃は、呉服は富裕層へのツケ払いで、値段も相手を見て決めるのが普通でした。誰にでも同じ定価で、その場で現金で売るというやり方は、当時の商売の常識をひっくり返すものだったとされています。買う側からすれば「いくらになるか分からない交渉」がなくなり、安心して買い物ができる。今のお店の値札や定価販売の原型が、ここ日本橋から広まったと考えると面白いです。
三井高利に関するよくある質問
- 三井高利と三越・三井グループはどういう関係ですか?
- 高利が日本橋で育てた呉服店「越後屋」が、のちに百貨店「三越」へと発展しました。あわせて始めた両替店などの事業が三井家の財をなし、高利は三井グループの家祖とされています。
- 三井高利は呉服店のほかにどんな商売をしていましたか?
- 呉服店の越後屋に加え、お金を扱う両替店を営みました。江戸・京都・大阪の三都に店を広げ、幕府の公金を動かす為替の御用も任されています。
- 三井高利が活躍した場所は、今のどこにあたりますか?
- 店を構えた駿河町は、現在の東京都中央区日本橋室町あたりです。越後屋から続く日本橋三越本店が今も同じ室町で営業しています。ただし創業時の建物がそのまま残っているわけではありません。
