日本橋室町の地名の由来とは?京都の室町との違いと江戸時代からの歴史を解説

こんにちは!とーんと♡日本橋編集部です。

三越前駅を降りると目に入る「日本橋室町」の地名。
「室町って、あの室町時代の室町?」「京都の室町と関係あるの?」と疑問に思ったこと、ありませんか?

実は、日本橋室町の地名の由来には「2つの有力説」があり、どちらが正しいか確定していません
中央区の公式サイトでも両説が併記されており、歴史的に決着がついていないんです。

この記事では、日本橋室町の地名の由来を2つの説それぞれ掘り下げながら、京都の室町との違い、江戸時代の歴史、そして現代の「コレド室町」の名前の意味まで、まるごと解説します。
読み終わるころには、日本橋室町を歩くときの景色がちょっと変わるはずですよ。

目次

日本橋室町の地名の由来は「2つの有力説」がある

説①|京都の室町通りにならって名づけられた説

日本橋室町の地名の由来としてよく取り上げられるのが、京都の室町通りにならって名づけられたという説です。

京都の室町通りは、足利将軍家が政治の拠点を置いた場所。
室町幕府や室町時代の名前の由来にもなった、日本史上きわめて格式の高い地名ですよね。

京都の室町通りの格式にあやかったとする説の流れを整理しました。

江戸幕府が開かれた当時、京都は依然として朝廷が置かれた文化の中心地でした
新しい都市・江戸を発展させるにあたって、京都の名高い地名をあやかるように採用した、という考え方は十分にありえるでしょう。

中央区の観光協会系の資料でも「京都の室町にならったという説がある」と記載されています。
ただし、いつ・誰がこの名前を採用したかという具体的な記録は見つかっていないのが現状なんですよ。

説②|土蔵 (むろ) が立ち並ぶ商人の町だった説

もうひとつの有力説が、日本橋室町には商家の土蔵 (むろ) が数多く立ち並んでいたことが地名の由来だ、とする説です。

日本橋は五街道の起点として全国から物資が集まる場所でした。
商人たちは取り扱う商品を保管するために大きな土蔵を建て、それが通りにずらりと並んでいたとされています。

「むろ(土蔵)が並ぶ町」から「室町」へ変化したとする説の流れです。

「むろ (土蔵) が立ち並ぶ町」→「むろまち」→「室町」という変化ですね。

この説は、日本橋が江戸時代に果たしていた物流・商業の中心地としての役割と直接結びついていて、なかなか説得力があります。
中央区の公式サイトでも、「商家が多く集まっており、その土蔵 (室) が立ち並んでいたためという説」として紹介されていますよ。

正直なところ、編集部としてはこちらの「土蔵説」のほうが、日本橋の土地柄にしっくりくる気がしています。とはいえ裏付ける決定的な史料がない以上、どちらが正解とは言い切れません。

2つの由来説を並べると、根拠と裏付けの違いが見えてきます。

昭和6年に「めでたい名前」として選ばれたという記録も

2つの有力説に加えて、もうひとつ興味深い情報があります。

一部の資料によると、日本橋室町の現在の町名は昭和6年 (1931年) に中沢彦吉という人物の発案で、「めでたい名前」として選ばれたとする記録があるとされています。

ただし、この「昭和6年命名説」は二次資料での言及にとどまり、公式の一次ソースでは確認できていません
あくまで「そういう記録もある」という段階の情報である点にご留意ください。

もしこの説が事実なら、日本橋室町の地名は「古くから自然に定着した名前」ではなく、近代になって意図的に選ばれたブランド名のような存在だった、ということになります。
なんだか現代の再開発プロジェクトに通じるものを感じませんか?

「室町」の地名がいつ成立したかは、実は確定していない部分もあります。

京都の「室町」と日本橋の「室町」はどう違う?

「室町」と聞いて多くの方が真っ先に連想するのは、京都の室町通り、そして室町時代ではないでしょうか。
同じ「室町」でも、京都と日本橋ではその成り立ちも性格もまったく異なります。

同じ「室町」でも、京都は政治、日本橋は商いと、性格がまったく異なります。

京都の室町は足利将軍家の政治拠点

京都の室町通りが歴史の表舞台に登場するのは、1378年のこと。
室町幕府の第3代将軍・足利義満が、この通り沿いに「花の御所」と呼ばれる壮麗な邸宅を構えたことがきっかけです。

この邸宅があまりにも有名になったため、将軍の政権そのものが「室町幕府」と呼ばれるようになり、1336年〜1573年の約240年間が「室町時代」と名づけられました
京都の室町は、日本史の時代名の由来になるほどの「政治の中心地」だったわけですね。

日本橋の室町は江戸の商業・流通の中心地

一方、日本橋の室町は政治ではなく「商業」の中心地として発展してきました。

江戸幕府が1604年に日本橋を五街道の起点と定めたことで、全国から物資と人が集まる一大流通拠点に。
呉服商・薬種問屋・海産物問屋など、あらゆる業種の商人がこの界隈に店を構え、江戸で最も経済的に活気のあるエリアだったと伝わっています。

京都の室町と日本橋の室町の比較

比較項目京都の室町日本橋の室町
名前の由来足利義満の「花の御所」の所在地京都にならった説 / 土蔵 (むろ) の町説
性格政治・文化の中心地商業・流通の中心地
時代1336〜1573年 (室町時代)1603年〜 (江戸時代以降)
現在の姿京都市中京区の通り名として残るコレド室町など再開発で商業エリアとして発展

こうして並べてみると、同じ「室町」でも京都は「政治の室町」、日本橋は「商いの室町」という、まったく異なる個性を持っていることがわかります。
日本橋で「室町」の地名を見かけたら、「ここは江戸の商人たちが集まった経済の中心地だったんだ」と思い出してみてくださいね。

江戸時代の日本橋室町はどんな場所だったのか

日本橋室町の地名の由来をより深く理解するには、江戸時代にこのエリアがどんな役割を果たしていたのかを知っておきたいところです。

五街道の起点・日本橋との関係

日本橋室町の発展を語るうえで外せないのが、日本橋が「五街道の起点」だったという事実。

1603年に架けられた日本橋は、翌1604年に徳川幕府によって東海道・中山道・甲州街道・日光街道・奥州街道の5つの主要街道の起点に定められました。
全国の距離はすべて日本橋から測る。つまり、日本橋室町の周辺は文字どおり「日本の道路のゼロ地点」だったんです。

五街道すべての起点だった日本橋。室町エリアが商業の中心地になった理由がわかります。

街道の起点ということは、地方からの物資も旅人もすべてここに集まってくるということ。
日本橋室町エリアに商人たちが集中し、問屋や蔵が立ち並ぶ一大商業地区になったのは、この地理的条件の恩恵が大きかったのでしょう。

五街道についてもっと詳しく知りたい方は、日本橋五街道とは?歴史や各街道の特徴を解説した記事もあわせてどうぞ。

越後屋 (三越の前身) が生まれた商人の町

日本橋室町エリアの商業的な象徴ともいえるのが、1673年に創業した「越後屋」です。
越後屋は三井高利が開いた呉服店で、現在の三越の前身にあたります。

越後屋が画期的だったのは、当時としては異例の「正札販売 (値段を固定して誰にでも同じ価格で売る)」を導入したこと。
それまでの呉服商は客ごとに値段を変える交渉制が主流でしたが、越後屋はこれを廃止し、庶民でも気軽に買える仕組みを作りました。いまでいう「明朗会計」の走りですね。

越後屋が導入した「正札販売」は、現代の明朗会計の原型ともいえる革新でした。

越後屋と日本橋室町の関係
・1673年、三井高利が日本橋に越後屋を創業
・「現金掛け値なし (正札販売)」で商慣行を革新
・のちに三越百貨店へ発展し、現在の日本橋三越本店へ
・三井家の存在が、日本橋室町エリアの商業的な格を方向づけた

日本橋室町が「ただの繁華街」ではなく、日本の商業史を動かした革新の舞台だったという点は、この地名を理解するうえで見落とせないところ。
同じく日本橋エリアの地名由来に興味がある方は、大伝馬町の地名の由来を解説した記事も面白いですよ。

「コレド室町」の名前の由来と現代の日本橋室町

現代の日本橋室町を語るうえで欠かせないのが、商業施設「コレド室町」の存在でしょう。
このコレド室町の名前にも、実は日本橋の歴史が意識的に織り込まれています。

COREDO=「CORE」+「EDO」の造語

コレド (COREDO) という名前は、英語の「CORE (中心・核)」と「EDO (江戸)」を組み合わせた造語です。
三井不動産の公式リリースでも、この命名意図が明記されています。

つまりコレド室町の名前には、「江戸の中心であったこの場所を、現代の商業の中心地として再生させる」という開発コンセプトが込められているわけですね。

「COREDO」は「CORE(中心)」と「EDO(江戸)」を組み合わせた造語です。
  • コレド室町1:2010年開業
  • コレド室町2・3:2014年開業
  • コレド室町テラス:2019年開業

コレド室町の名前の由来や各施設の違いをさらに詳しく知りたい方は、コレド室町の名前の由来を深掘りした記事もチェックしてみてください。

日本橋室町エリアの主な観光スポット

「日本橋室町って、結局どんなところがあるの?」という方のために、エリア内で訪れたい代表的なスポットを整理しました。

  • 日本橋三越本店:越後屋の流れを汲む老舗百貨店。重要文化財の建物も見どころ
  • コレド室町1〜3・テラス:飲食・ショッピング・映画館が揃う複合商業施設
  • 福徳神社:貞観年間 (859〜877年) 創建とされ、徳川家康も参拝した歴史ある神社
  • 福徳の森:福徳神社に隣接する都会のオアシス。薬祖神社も鎮座
  • 三浦按針 (ウィリアム・アダムス) の屋敷跡:日本橋室町に残る江戸初期の遺跡
  • 日本橋ふくしま館 MIDETTE:福島県の特産品が揃うアンテナショップ

福徳神社は宝くじ当選やチケット運アップで話題になることも多く、福徳神社のご利益やパワースポット情報をまとめた記事も人気があります。
三浦按針の遺跡については、三浦按針と日本橋室町の関係を解説した記事で詳しくご紹介していますよ。

日本橋室町の地名に関するよくある質問 (FAQ)

Q. 日本橋室町の「室町」は室町時代と関係がありますか?

A. 日本橋室町の「室町」と室町時代は、直接的な関係は確認されていません。室町時代の名称は京都の室町通りに由来しています。日本橋室町の地名は「京都の室町にならった説」と「土蔵 (むろ) が並ぶ町だった説」の2つがあり、中央区公式サイトでも両説が併記されています。

Q. 日本橋室町の地名はいつからあるのですか?

A. 日本橋室町の地名がいつ成立したかは、はっきりとした記録が残っていません。江戸時代からこの地域を指す呼称として使われていた可能性がある一方、一部の資料では昭和6年 (1931年) に正式な町名として採用されたとする記録もあります。ただし後者は公式一次ソースでの確認が取れていないため、確定情報とはいえない状況です。

Q. 「コレド室町」の名前の由来は何ですか?

A. コレド室町の「COREDO」は、英語の「CORE (中心)」と「EDO (江戸)」を組み合わせた造語です。三井不動産が開発した商業施設で、「江戸の中心地を現代に再生する」というコンセプトが名前に込められています。コレド室町1は2010年、コレド室町2・3は2014年、コレド室町テラスは2019年にそれぞれ開業しました。

Q. 京都の室町と日本橋の室町は同じ由来ですか?

A. 京都の室町と日本橋の室町は、同じ由来であるとは断定されていません。京都の室町は足利将軍家の政治拠点 (花の御所) がある通りの名前で、政治の中心地としての由来です。一方、日本橋の室町は京都にならった説と、商家の土蔵 (むろ) に由来する説の2つがあります。両者は「室町」という同じ名前でも、性格がまったく異なります。

Q. 日本橋室町エリアには何がありますか?

A. 日本橋室町エリアの主な見どころとしては、日本橋三越本店、コレド室町 (1〜3およびテラス)、福徳神社、福徳の森、三浦按針の屋敷跡、日本橋ふくしま館 MIDETTEなどがあります。歴史的なスポットとショッピング・グルメが徒歩圏内にコンパクトにまとまっているのが、日本橋室町エリアの特徴です。

歴史スポットからショッピングまで、室町エリアの見どころを整理しました。

Q. 日本橋室町の最寄り駅はどこですか?

A. 日本橋室町の最寄り駅は、東京メトロ銀座線・半蔵門線「三越前」駅です。駅直結でコレド室町や日本橋三越本店にアクセスできます。JR総武快速線「新日本橋」駅や東京メトロ日本橋駅からも徒歩圏内です。

室町幕府の時代からコレド室町まで、日本橋室町に関わる歴史の流れを1枚にまとめました。

まとめ|日本橋室町の地名には江戸から続く商業の記憶が刻まれている

日本橋室町とは、江戸時代に五街道の起点・日本橋のそばで発展した商業の中心地であり、その地名には京都との結びつきや商人文化の記憶が重なり合う歴史的な町名です。

最後に、この記事の要点を振り返っておきましょう。

  • 日本橋室町の地名の由来には「京都にならった説」と「土蔵 (むろ) の町説」の2つがある
  • 中央区公式サイトでも両説が併記されており、どちらか一方に確定していない
  • 京都の室町は「政治の中心地」、日本橋の室町は「商業の中心地」と性格が異なる
  • 江戸時代は五街道の起点に隣接し、越後屋 (三越の前身) など日本の商業史を動かした場所
  • 現代の「コレド室町」の名前は「CORE+EDO」の造語で、江戸の中心地としての歴史を受け継いでいる

三越前駅を降りてコレド室町のビル群を見上げたとき、「ここには江戸時代から400年以上にわたる商いの歴史が重なっているんだな」と思い出していただけたら嬉しいです。

日本橋エリアの地名や歴史をもっと知りたくなった方には、日本橋の歴史を江戸時代からまとめた記事もおすすめですよ。

コレド室町は2010年から段階的に開業し、現在4つの施設が揃っています。
地名の由来から現代まで、日本橋室町の本質を3つの層で整理しました。
目次