人形町 甘酒横丁の名前の由来とは?江戸時代の甘酒屋「尾張屋」から続く400mの商店街の歴史

こんにちは!とーんと♡日本橋編集部です。
人形町駅を降りてすぐの交差点に掲げられた「甘酒横丁」の看板。
「なぜこの通りは”甘酒”なんだろう?」と不思議に思ったこと、ありませんか?
甘酒横丁の名前の由来は、明治時代にこの通りの入口で営業していた甘酒屋「尾張屋」にあります。
芝居帰りの客でにぎわったこのお店があまりにも有名だったため、通り自体が「甘酒屋横丁」と呼ばれるようになったんですよ。
この記事では、甘酒横丁の名前の由来と尾張屋の歴史を中心に、人形町の街づくりとの関わりや、現在の甘酒横丁で楽しめる老舗・名店、アクセス情報までまとめました。
由来を知ってから歩くと、400mの商店街がちょっと違って見えるはずです。
甘酒横丁の名前の由来は明治時代の甘酒屋「尾張屋」
甘酒横丁の名前の由来は、明治時代にこの通りの入口で営業していた「尾張屋」という甘酒屋です。
甘酒横丁商店街の公式情報によると、もともとは「甘酒屋横丁」と呼ばれていたのが、やがて「甘酒横丁」に縮まって定着したとされています。
つまり、通りの名前は特定の飲み物ではなく、「尾張屋」というお店の存在そのものに由来しているわけですね。

尾張屋はなぜ人気だったのか?芝居帰りの客が集まった背景
尾張屋が大きな人気を集めた背景には、人形町という立地の特性が深く関わっています。
江戸時代から明治にかけて、人形町周辺には歌舞伎の芝居小屋や人形浄瑠璃の劇場が集まっていました。
観劇を終えた人々が甘酒横丁の入口を通るルートは、いわば「帰り道の一等地」。
尾張屋は店先に縁台 (ベンチのような腰掛け) を置いていたとされ、芝居の感想を語り合いながら甘酒を飲む場所として親しまれていたようです。
尾張屋が繁盛した3つの要因
- 水天宮・明治座 (当時の芝居小屋) への参拝客・観劇客の動線上にあったこと
- 店先の縁台が「芝居帰りの休憩スポット」として機能していたこと
- 甘酒という庶民的な飲み物が、幅広い層に受け入れられたこと
現代風にいえば、駅前の人気カフェのような存在だったのかもしれません。
人の流れと休憩ニーズがぴったり重なる場所で、手軽な甘酒を出していた。だからこそ、お店の名前が通りの名前になるほどの知名度を獲得したんですね。
ちなみに、人形町という地名そのものも芝居文化と深いつながりがあります。
詳しくは人形町の歴史をまとめた記事で解説していますので、あわせてご覧ください。
尾張屋の閉店後も「甘酒横丁」の名が残った理由
尾張屋は1953年頃に閉店したとされています (テレビ東京「アド街ック天国」2013年放送より)。
名前の由来となったお店がなくなった以上、「甘酒横丁」という呼び名も消えてしまいそうなものですよね。
ところが実際には、尾張屋の閉店後も地元の商店主や住民が「甘酒横丁」の名前を使い続けました。
通りの名前は一つのお店の屋号を超えて、街の歴史そのものを象徴する「地域の財産」として根づいていったのです。
この流れを後押ししたのが、明治時代に創業した豆腐の老舗「とうふの双葉」の存在でしょう。双葉が甘酒の提供を続けていたことで、「甘酒横丁で甘酒を飲む」という体験が途切れずに済んだわけです。
現在でも甘酒横丁商店街では毎年3月の桜まつりで例年2,000杯以上の甘酒が無料配布されており、「甘酒」と「横丁」のつながりはしっかり受け継がれています。

甘酒横丁の歴史を支えた人形町の街づくり
甘酒横丁の歴史は、人形町という街全体の発展と切り離せません。
なぜこの場所に甘酒屋が生まれ、なぜ400mの商店街として続いてきたのか。
その答えは、江戸時代から続く人形町の「芝居と商いの街」としての歩みの中にあります。
江戸時代の人形町と歌舞伎文化
人形町の歴史が大きく動いたのは、1624年 (寛永元年) のこと。
歌舞伎役者の猿若勘三郎がこの地に芝居小屋「猿若座」(のちの中村座) を開いたことが、いわば街の原点です。
これをきっかけに、人形町周辺には芝居小屋や人形浄瑠璃の劇場が次々と集まりました。
観劇に訪れる人が増えれば、飲食店やお茶屋、土産物店が自然と生まれますよね。
こうして人形町は「江戸有数の娯楽エリア」として発展し、尾張屋のような甘酒屋が繁盛する土壌が形成されていったのです。
「人形町」という地名自体も、人形浄瑠璃や人形を作る職人が多かったことに由来するとされています。
甘酒横丁の名前の由来をたどると、その先には江戸の芝居文化が広がっている。
400mの商店街が、ずいぶんスケールの大きな物語を背負っていると思いませんか。

関東大震災と戦災を経た甘酒横丁の変遷
甘酒横丁が現在の姿になるまでには、2つの大きな転機がありました。
1つ目は、1923年 (大正12年) の関東大震災。
甘酒横丁商店街の公式情報によれば、震災後の復興計画のなかで甘酒横丁の道幅が大きく広げられたとされています。
もともと江戸時代の路地幅だった通りが、現在に近い幅に拡張されたのはこの時期のこと。防火対策や交通整備の一環でしたが、結果として歩きやすい商店街の骨格がこの時にできあがったともいえます。
2つ目は、第二次世界大戦の空襲。
東京の多くの下町が焼失したなか、人形町・甘酒横丁の周辺は大規模な戦災を比較的免れたと中央区の観光資料に記されています。
建物や商店がある程度残ったことで、戦後も老舗が営業を続けられ、「下町の雰囲気」が途切れずに受け継がれていきました。
正直なところ、これは東京の下町では珍しいケースです。隣接するエリアが壊滅的な被害を受けたことを考えると、甘酒横丁が今の姿で残っているのは幸運と呼んでいい部分もあるでしょう。

甘酒横丁の歴史年表 (ざっくり)
- 1624年:猿若勘三郎が人形町に芝居小屋を開設。娯楽の街としての歩みが始まる
- 明治時代:尾張屋が甘酒横丁の入口で開業。通りが「甘酒屋横丁」と呼ばれるように
- 1923年:関東大震災。復興時に道幅が拡張され、現在に近い商店街の形が誕生
- 1933年:「人形町」が正式な町名として制定されたとする記録あり
- 1945年:第二次世界大戦の空襲を比較的免れ、商店街の骨格が存続
- 1953年頃:尾張屋が閉店。名前は地域の財産として残る
- 現在:100店舗以上が並ぶ、東京を代表する下町商店街として営業中
震災を乗り越え、戦火をくぐり抜け、名前の由来であるお店が閉じてもなお「甘酒横丁」であり続けている。
この事実だけでも、甘酒横丁が単なる商店街ではなく、街の記憶を宿す場所だということが伝わるのではないでしょうか。

甘酒横丁には何がある?老舗・名店の見どころ
甘酒横丁には100店舗以上の商店や飲食店がぎゅっと集まっています。
400mという距離感がちょうどよく、「ちょっと寄り道」のつもりが気づけば端から端まで歩いてしまう。そんな吸引力のある通りなんですよ。
ここでは、甘酒横丁で特に立ち寄りたい老舗と、お土産選びに役立つお店をピックアップしてご紹介します。
甘酒横丁で立ち寄りたい老舗のお店
甘酒横丁を語るうえで外せないのが、明治創業の「とうふの双葉」です。
甘酒横丁の公式サイトによると、とうふの双葉は豆腐だけでなく甘酒の提供も続けている数少ないお店。
尾張屋が閉店した後も「甘酒横丁」の名前の記憶を支え続けてきた存在ともいえます。
営業時間は平日7:00〜19:00、日曜10:00〜18:00で、年中無休とされています (公式サイト情報。最新の営業時間は公式サイトでご確認ください)。
もう一軒、甘酒横丁の交差点そばで存在感を放っているのが「重盛永信堂」。
七福神の顔をかたどった人形焼は、甘酒横丁を代表するお菓子として知られています。
1個あたり140〜180円程度が目安ですが、価格は変動する場合があるのでお店でご確認を。賞味期限は製造日から5日間ほどとされています。
編集部で実際に食べた感想は重盛永信堂の実食レポートにまとめていますので、味が気になる方はぜひ。
このほか、1903年創業のほうじ茶専門店「森乃園」や、手焼きせんべいの「にんぎょう町草加屋」 (1921年創業) など、甘酒横丁には大正・明治から続く老舗が点在しています。
チェーン店にはない、職人の手仕事に触れられるのが甘酒横丁ならではの魅力ですね。
お土産選びにおすすめの和菓子・食べ歩きグルメ
「甘酒横丁で何を買って帰ろう?」と迷ったときのために、お土産向きの商品をジャンル別に整理しました。
甘酒横丁のお土産ジャンル別ガイド
| ジャンル | 代表的なお店・商品 | 日持ちの目安 |
|---|---|---|
| 人形焼・和菓子 | 重盛永信堂の人形焼 | 約5日 |
| 手焼きせんべい | にんぎょう町草加屋 | 数週間〜 |
| 京菓子 | 京菓子司 彦九郎のまんじゅう | 商品により異なる |
| 豆腐・甘酒 | とうふの双葉 | 要冷蔵・早めに |
| 日本酒 | 新川屋佐々木酒店 | 未開封で長期可 |
| 雑貨・ハンカチ | MUCCO | (食品ではない) |
※日持ちの目安はあくまで参考値です。季節や保存状態によっても変わるため、購入時にお店で確認するのが確実です。
遠方へのお土産なら、日持ちするせんべいや和菓子が安心。
一方、とうふの双葉の豆腐や甘酒は冷蔵が必要なので、近場への手土産か自分用のお楽しみ向きといえます。

食べ物以外では、甘酒横丁の入口付近にある雑貨店「MUCCO」の人形町ハンカチ (これまでに累計15,000枚以上を販売)が人気を集めています。
かさばらないので、ちょっとしたプレゼントにもぴったりですよ。
MUCCOの詳しい情報は人形町の雑貨屋さん「MUCCO」の記事でご紹介しています。
甘酒横丁へのアクセスと散策のコツ
甘酒横丁は最寄り駅から徒歩1〜2分という抜群のアクセスが魅力。
複数の路線が使えるため、都内のどこからでも比較的スムーズにたどり着けます。
甘酒横丁の最寄り駅とアクセス一覧
| 最寄り駅 | 路線 | 出口 | 徒歩 |
|---|---|---|---|
| 人形町駅 | 東京メトロ日比谷線 | A1出口 | すぐ |
| 人形町駅 | 都営浅草線 | A3出口 | 約2分 |
| 水天宮前駅 | 東京メトロ半蔵門線 | 7番出口 | 約2分 |
| 浜町駅 | 都営新宿線 | A2出口 | 約5分 |
おすすめは人形町駅のA1出口。
改札を出るとすぐ目の前に甘酒横丁の交差点が広がるので、初めてでも迷いにくいルートです。
水天宮前駅からアクセスする場合は、水天宮の御朱印巡りと組み合わせるのもいいですね。
甘酒横丁の全長は約400m。
端から端までゆっくり歩いても15〜20分ほどですが、お店をのぞきながら歩くと1時間はあっという間に過ぎてしまいます。
散策の合間に時間が余ったら、人形町で時間つぶしできるスポットの記事も参考にしてみてください。

甘酒横丁のよくある質問 (FAQ)
Q. 甘酒横丁の名前の由来は何ですか?
A. 甘酒横丁の名前の由来は、明治時代にこの通りの入口で営業していた甘酒屋「尾張屋」です。芝居帰りの客に甘酒を提供して大繁盛し、通り自体が「甘酒屋横丁」と呼ばれるようになりました。やがて「甘酒横丁」に縮まって現在の名称が定着したとされています。
Q. 甘酒横丁の尾張屋は今もありますか?
A. 甘酒横丁の名前の由来となった尾張屋は、1953年頃に閉店したとされています (テレビ東京「アド街ック天国」2013年放送情報)。現在は営業していませんが、「甘酒横丁」という名前は地域の歴史遺産として受け継がれています。
Q. 甘酒横丁にはどんなお店がありますか?
A. 甘酒横丁には100店舗以上の商店や飲食店が並んでいます。代表的なお店としては、明治創業の豆腐店「とうふの双葉」、人形焼の「重盛永信堂」、ほうじ茶専門店「森乃園」、手焼きせんべいの「にんぎょう町草加屋」などが挙げられます。和食店や中華料理店、洋食店も点在しており、食べ歩きからランチまで幅広く楽しめる商店街です。
Q. 甘酒横丁の最寄り駅はどこですか?
A. 甘酒横丁の最寄り駅は東京メトロ日比谷線の人形町駅 (A1出口) です。A1出口を出ると甘酒横丁の交差点が目の前に広がります。このほか、都営浅草線の人形町駅 (A3出口・徒歩約2分)、東京メトロ半蔵門線の水天宮前駅 (7番出口・徒歩約2分)、都営新宿線の浜町駅 (A2出口・徒歩約5分) からもアクセスできます。
Q. 甘酒横丁を歩くのにおすすめの曜日・時間帯は?
A. 甘酒横丁を散策するなら、火曜〜土曜の午前10時〜12時頃がおすすめです。月曜日は定休のお店が多いため、買い物や食べ歩きを目的とする場合は避けたほうが無難でしょう。ランチを兼ねるなら11時半〜13時頃に訪れると、飲食店の選択肢が広がります。
Q. 甘酒横丁で今も甘酒は飲めますか?
A. 甘酒横丁では、明治創業の「とうふの双葉」で甘酒を提供しています。毎年3月下旬に甘酒横丁商店街が開催する桜まつりでは、例年2,000杯以上の甘酒が無料配布されるのも恒例行事。名前の由来にちなんだ甘酒を味わいたい方は、これらを目安に訪れるとよいでしょう。

まとめ|甘酒横丁は「名前の由来」を知ると歩き方が変わる
甘酒横丁とは、明治時代の甘酒屋「尾張屋」を起源とし、江戸の芝居文化を背景に発展した、人形町の約400mの下町商店街です。
名前の由来を知ると、何気ない交差点の看板にも物語が見えてきます。
「ここに尾張屋があったのか」「芝居帰りの人たちが縁台で甘酒を飲んでいたのか」。
そんなことを想像しながら歩くだけで、400mの商店街がぐっと奥行きのある散策路に変わるはずです。
甘酒横丁の老舗を巡ったあとは、周辺の神社やスポットにも足を延ばしてみてください。
日本橋七福神巡りのルート記事では、甘酒横丁エリアを含む散策コースをご紹介しています。
人形町の歴史をもっと深掘りしたくなった方は、ぜひあわせてお楽しみください!

