稲荷堀跡とは
稲荷堀跡とは、日本橋小網町と日本橋蛎殻町一丁目の境付近にあった掘割を伝える旧跡です。「いなりぼり」ではなく「とうかんぼり」と読み、現地の中央区教育委員会説明板にも「とうかんぼりあと」と示されています。
道路名に残る堀の記憶
堀そのものは現在残っていません。その名残を感じさせる道路愛称名が、「とうかん堀通り」です。区の一覧が示す区間は、日本橋蛎殻町一丁目6番先から日本橋小網町3番先まで。
「堀」と「通り」は同じ対象ではありません。稲荷堀は歴史上の水路、とうかん堀通りは現在の道路愛称名です。説明板と道路標識を見比べると、水路の記憶が街路名に残る様子をつかみやすいでしょう。
どこを流れていた堀?
江戸の地誌『御府内備考』の記述では、甚左衛門町の南にあった入堀(川から町なかへ引き込んだ行き止まりの堀)。中ほどから西へ折れて姫路藩酒井家の屋敷に入り、屋敷の西の端を南へ下って、小網町三丁目の行徳河岸の東端にあった汐留橋のところで箱崎川に出ていました。堀の出口は、行徳船が発着した行徳河岸のすぐ東隣だったわけです。
日本橋トピック♪西隣の屋敷では「十日堀」と呼んだ
稲荷堀の呼び名は一つではありませんでした。日本歴史地名大系は『日本橋区史』を引いて、堀の西側にあった陸奥磐城平藩安藤家の屋敷では「十日(とおか)堀」とよんだと記しています。享保年間の江戸絵図での書き方は、カタカナの「イナリ堀」。同じ一本の水路が、絵図や屋敷によって違う名前で呼ばれていたのです。
稲荷堀跡に関するよくある質問
- 稲荷堀跡は何と読みますか?
- 「とうかんぼりあと」と読みます。現地の中央区教育委員会説明板と日本歴史地名大系でも、「稲荷堀」の読みは「とうかんぼり」と確認できます。
- 稲荷堀には別の呼び名がありますか?
- 日本歴史地名大系では、堀の東側に土井氏の屋敷が並んでいたことから「土井堀」とも呼ばれたと説明されています。

