庄司甚右衛門とは
庄司甚右衛門とは、江戸幕府の許可を受け、日本橋人形町周辺に元吉原を造営した人物です。浅草へ移る前の吉原と、日本橋に傾城町が形成された歴史を理解するうえで欠かせない人物といえるでしょう。
日本橋に元吉原を造営
中央区の文化財解説によると、日本橋人形町地区を含む一帯では、庄司甚右衛門が幕府の許可を得て元吉原を造営しました。末廣神社所蔵文書の解説で示される期間は、元和3年(1617年)から明暦3年(1657年)です。
明暦の大火と浅草への移転
元吉原は明暦3年(1657年)の大火で焼失し、浅草へ移転しました。移転後の吉原が新吉原と呼ばれるのに対し、日本橋側はその旧地にあたります。庄司甚右衛門を知ると、「吉原」の歴史が浅草だけで始まったのではないことが見えてくるでしょう。
人形町と富沢町に重なる旧地
中央区は、元吉原に関わる場所を日本橋人形町二・三丁目と日本橋富沢町の一部に重なる一帯として説明しています。元吉原は、住所名や一つの現存施設を示す言葉ではありません。日本橋人形町、元吉原、末廣神社を結びつければ、町の成り立ちが立体的に見えてくるはずです。
日本橋トピック♪末廣神社の文書が元吉原の町を伝える
庄司甚右衛門に関するよくある質問
- 元吉原と新吉原は何が違いますか?
- 元吉原は日本橋側にあった浅草移転前の旧地です。1657年の明暦の大火後に浅草へ移った吉原が、新吉原と呼ばれます。
- 庄司甚右衛門は何と読みますか?
- 「しょうじじんえもん」と読みます。「甚右衛門」は「じんえもん」です。

