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小伝馬町の名前の由来とは|怖い牢屋敷事件や処刑場というキーワードが….

こんにちは!とーんと♡日本橋編集部です。

日本橋エリアの北側に位置する「小伝馬町(こでんまちょう)」。
最近では、古いビルをリノベーションしたおしゃれなカフェやギャラリーが増え、感度の高い人たちが集まるエリアとして注目されていますよね。

でも、ふと気になって地名の由来を検索してみると……。

「小伝馬町 怖い」「小伝馬町 処刑場」「小伝馬町 牢屋敷 事件」

こんな不穏なサジェストキーワードが並んでいて、「えっ、もしかして治安が悪いの?」「住んだり遊びに行ったりして大丈夫?」と、背筋が寒くなった方もいるのではないでしょうか。

結論から言うと、現在の小伝馬町は非常に治安が良く、女性の一人歩きも安心な落ち着いた街です。
しかし、その足元には確かに、江戸時代270年にわたる「牢屋敷」の歴史が眠っています。

この記事では、小伝馬町の名前の由来と「怖い」と言われる歴史の真実、そして歴史を乗り越えて進化する「現在の小伝馬町の魅力(最新カフェ情報など)」を、編集部が現地からレポートします。

歴史を知れば、いつもの街歩きがもっと奥深いものになるはず。ぜひ最後までお付き合いください!

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伝馬町牢屋敷跡はなぜ「怖い」と言われるのか?吉田松陰終焉の地・十思公園の歴史も調べてみました。

目次大見出し6
  1. 小伝馬町の名前の由来とは?江戸の「伝馬制度」がルーツ
    1. 幕府の公用運搬を担った「伝馬役」
    2. 大伝馬町と小伝馬町の違いは何?
  2. 「小伝馬町は怖い」と言われる理由は「伝馬町牢屋敷」の歴史
    1. 江戸時代最大の牢屋敷!その驚きの広さと実態
    2. 吉田松陰だけじゃない!収監された歴史上の人物たち
  3. 牢屋敷跡の「今」を歩く。十思公園周辺の史跡巡り
    1. 【十思公園】処刑の合図だった「石町時の鐘」と除夜の鐘
    2. 【大安楽寺】処刑場跡に建つ慰霊の寺院
    3. 【小伝馬町牢屋敷展示館】無料で見学できる精巧な模型
  4. 【治安と住みやすさ】現在の小伝馬町は「粋で新しい」街
    1. 実は治安が良い?データと実際の街の雰囲気
    2. 歴史散策の後はここ!2025年注目の新カフェ・スポット
  5. 小伝馬町の歴史と観光に関するよくある質問(FAQ)
  6. 【まとめ】歴史を知れば小伝馬町はもっと面白い

小伝馬町の名前の由来とは?江戸の「伝馬制度」がルーツ

小伝馬町

小伝馬町(こでんまちょう)の名前の由来は、江戸時代に整備された交通システム「伝馬(でんま)制度」です。

「伝馬」とは、幕府の公用(荷物の運搬や手紙の伝達など)を行うために、街道の宿場で乗り継ぐ馬のことを指します。
徳川家康は、日本橋を起点とする「五街道」を整備した際、各宿場に馬と人を常備することを義務付けました。

幕府の公用運搬を担った「伝馬役」

この重要な任務を仕切っていたのが「伝馬役(てんまやく)」と呼ばれる人たちです。
小伝馬町という地名は、まさにこの「伝馬役が住んでいた町」であることに由来しています。

彼らは、江戸から地方へ、あるいは地方から江戸へ送られる公用物資を、次の宿場までリレー形式で運ぶ役割を担っていました。
現代で言えば、日本橋が「物流のハブ拠点」だったようなイメージですね。

大伝馬町と小伝馬町の違いは何?

日本橋には「小伝馬町」のほかに「大伝馬町(おおでんまちょう)」という地名もありますが、両者の違いは「差し出す馬の数の多さ」です。

🐴 名前の違いと役割

  • 大伝馬町:より多くの馬や人手を負担していた(規模が大きい)。
  • 小伝馬町:大伝馬町に比べて、負担する馬の数が比較的少なかった。

どちらも江戸の物流を支える重要な町でしたが、規模の大小がそのまま町名に残った形です。
ちなみに、同じく日本橋エリアにある「馬喰町(ばくろちょう)」も馬に関係する地名ですが、こちらは馬の売買や仲介を行う「博労(ばくろう)」が住んでいたことが由来です。

馬喰町についても「名前が怖い」と検索されることがありますが、その理由や歴史については馬喰町の名前の由来と歴史を紹介した記事で詳しく解説しています。

「小伝馬町は怖い」と言われる理由は「伝馬町牢屋敷」の歴史

検索キーワード

小伝馬町が「怖い」と検索される最大の理由は、かつてこの地に江戸時代最大の牢屋「伝馬町牢屋敷(てんまちょうろうやしき)」が存在したからです。

現在の平和なオフィス街からは想像もつきませんが、江戸時代の約270年間にわたり、ここで数十万人もの罪人が収容され、処刑が行われていました。

江戸時代最大の牢屋敷!その驚きの広さと実態

伝馬町牢屋敷の敷地面積は、約2,600坪(およそ8,600平方メートル)もありました。
現在の住所でいうと、日本橋小伝馬町3丁目から5丁目の一帯を占める広大な施設です。

敷地内には、身分や性別によって分けられた牢屋のほかに、以下のような施設がありました。

  • 穿鑿所(せんさくじょ):取り調べを行う場所。
  • 拷問蔵(ごうもんぐら):自白を強要するための拷問を行う場所。
  • 処刑場:斬首などの刑を執行する場所。

昼間は何とも思わずに歩いている道も、歴史を知ると少し背筋が伸びるような感覚になりますね。
実際にSNSなどでも、「普段使っている駅のすぐ近くに処刑場跡があったなんて知らなかった」「歴史を知ると通るのが少し怖い」といった声が見受けられます。

吉田松陰だけじゃない!収監された歴史上の人物たち

伝馬町牢屋敷には、幕末の志士「吉田松陰」をはじめ、歴史の教科書に出てくるような多くの著名人が収容されていました。

ここでは、伝馬町牢屋敷ゆかりの主な人物をまとめました。

人物名概要・エピソード
吉田松陰幕末の思想家。安政の大獄により収監され、この地で処刑されました。辞世の句「留魂録」を残したことで有名です。
橋本左内福井藩士。吉田松陰と同じく安政の大獄で処刑されました。当時まだ26歳という若さでした。
平賀源内「エレキテル」で有名な発明家。誤って人を殺傷した罪で投獄され、牢屋敷内で病死(破傷風とも)しました。
八百屋お七恋人に会いたい一心で放火事件を起こし、火刑に処されました。井原西鶴の『好色五人女』のモデルにもなっています。
高野長英江戸後期の蘭学者。一度は牢屋敷の火災に乗じて脱獄しましたが、後に捕縛され自害しました。

このように、単なる罪人だけでなく、時代の変革期に志半ばで散っていった知識人たちも多く収容されていた場所なのです。

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牢屋敷跡の「今」を歩く。十思公園周辺の史跡巡り

かつての牢屋敷跡地は、現在「十思公園(じっしこうえん)」や「大安楽寺」として整備され、誰でも自由に歴史散策ができるスポットになっています。

実際に足を運んでみると、そこは都会の喧騒を忘れるほど静かで、近隣のビジネスマンがランチ休憩をしたり、子供たちが遊んだりする穏やかな場所でした。
ここでは、ぜひ見ておきたい3つの史跡をご紹介します。

【十思公園】処刑の合図だった「石町時の鐘」と除夜の鐘

十思公園の時の鐘

十思公園の中には、江戸市中に時刻を知らせていた「石町時の鐘(こくちょうときのかね)」が大切に保管されています。

高さ約1.7メートルの立派な鐘楼ですが、実は少し悲しい歴史も。
江戸時代、この鐘の音が処刑執行の合図として使われていたため、囚人たちはこの音を聞いて最期の時を悟ったと言われています。

普段は柵越しに見るだけですが、毎年大晦日には一般の人も「除夜の鐘」として鐘をつくことができます。
近年ではプロジェクションマッピングとコラボするなど、歴史と現代アートが融合したイベントとしても人気です。

大晦日のイベント詳細や、実際に鐘をつく方法については、日本橋近辺の除夜の鐘や年越しスポットを紹介した記事で詳しくレポートしています。

【大安楽寺】処刑場跡に建つ慰霊の寺院

十思公園の向かいにある「大安楽寺(だいあんらくじ)」は、処刑場で亡くなった方々を供養するために創建されたお寺です。

名前の由来は、土地を寄進した明治の実業家「倉喜八郎」と「田善次郎」の頭文字から取って「大安楽寺」と名付けられました。
境内には「江戸伝馬町処刑場跡の碑」や「延命地蔵尊」が祀られており、手を合わせると不思議と心が落ち着く静寂な空気が流れています。

【小伝馬町牢屋敷展示館】無料で見学できる精巧な模型

伝馬町牢屋敷の模型

より深く歴史を知りたい方は、十思公園に隣接する十思スクエア別館内の「小伝馬町牢屋敷展示館」へ行ってみましょう。

ここでは、伝馬町牢屋敷の内部を再現した精巧な模型や、当時の道具などが展示されています。
「展示館」といっても規模はコンパクトですが、入館料は無料。「牢屋の中ってこんな構造だったんだ…」と、視覚的に歴史を学ぶことができます。

🏛 小伝馬町牢屋敷展示館の基本情報

  • 住所:東京都中央区日本橋小伝馬町5-19 十思スクエア別館
  • 開館時間:9:00〜20:00(年末年始等は休館)
  • 料金:無料
  • アクセス:小伝馬町駅から徒歩約1分

【治安と住みやすさ】現在の小伝馬町は「粋で新しい」街

「怖い」という検索ワードとは裏腹に、2025年現在の小伝馬町は、治安が良くおしゃれなカフェが集まる注目のエリアです。

実は治安が良い?データと実際の街の雰囲気

中央区の犯罪発生情報を見ても、日本橋小伝馬町エリアの粗暴犯件数は極めて少なく、非常に落ち着いた治安状況です。
オフィスとマンションが混在しているため、夜でも適度な人通りと街灯の明るさがあり、女性の一人歩きでも不安を感じることはほとんどありません。

歴史散策の後はここ!2025年注目の新カフェ・スポット

歴史散策で少し歩き疲れたら、こだわりのコーヒーで一休みしませんか?
小伝馬町は今、古い建物をリノベーションしたハイセンスなカフェの激戦区になっています。

  • nexpect coffee(ネクスペクト コーヒー)
    2024年オープンの話題店。フグレン出身のバリスタが手掛ける極上のコーヒーが楽しめます。Wi-Fi完備で作業にもおすすめ。
  • PERTICA COFFEE(ペルティカ コーヒー)
    「とまり木」を意味する店名の通り、木の温もりを感じる空間でほっと一息つけます。

歴史の重みを感じた後に、現代の洗練されたカフェで過ごす。
この「ギャップ」こそが、今の小伝馬町散策の醍醐味なんですよ。

小伝馬町の歴史と観光に関するよくある質問(FAQ)

Q. 小伝馬町は住んでも大丈夫ですか?怖い場所ですか?

A. 現在の小伝馬町は治安が良く、住むのにも適した安全な街です。「怖い」というイメージは江戸時代の牢屋敷の歴史に由来するものですが、現在は公園やオフィス、マンションが並ぶ穏やかな環境です。女性の一人暮らしも多く見られます。

Q. 小伝馬町牢屋敷展示館の見学所要時間はどれくらいですか?

A. 小伝馬町牢屋敷展示館の見学所要時間は、15分〜30分程度です。ワンフロアの展示スペースに模型やパネルがあるコンパクトな施設なので、散策の合間に気軽に立ち寄ることができます。

Q. 十思公園で除夜の鐘をつくことはできますか?

A. はい、毎年大晦日の夜に十思公園で除夜の鐘をつくことができます。通常は立ち入り禁止の「石町時の鐘」ですが、12月31日の23時頃から受付が開始され、一般の方も参加可能です。

【まとめ】歴史を知れば小伝馬町はもっと面白い

小伝馬町

今回は、小伝馬町の名前の由来と、ちょっぴり怖い歴史、そして現在の街の魅力についてご紹介しました。

📝 記事のポイント

  • 小伝馬町の由来は、江戸時代の物流を担った「伝馬役」が住んでいたこと。
  • 「怖い」と言われる理由は、かつて「伝馬町牢屋敷」があったから。
  • 現在は治安が良く、十思公園などの史跡とおしゃれなカフェが共存する街。

「牢屋敷跡」と聞くと身構えてしまうかもしれませんが、実際に訪れてみると、歴史を大切に保存しながら、新しい文化を取り入れて進化している街のエネルギーを感じることができます。

小伝馬町から徒歩10分ほど歩けば、人形焼発祥の地である人形町や、安産祈願で有名な水天宮へもアクセスできます。
また、時間に余裕があれば、日本橋七福神巡りのコースとして周辺の神社を回ってみるのもおすすめです。

次の休日は、歴史ロマンと新しい発見が詰まった小伝馬町へ、ぜひ足を運んでみてくださいね。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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