日本橋再生計画とは

日本橋再生計画とは、三井不動産が中心となって2004年から続けている、日本橋エリアの広域な街づくり(再開発)の総称です。「残しながら、蘇らせながら、創っていく」を合言葉に、コレド室町などの新しい施設を生み出す一方で、神社や老舗といった街の記憶も大切に残してきました。首都高速道路の地下化とも歩調を合わせながら、いまも進行中の大きな計画です(2026年6月時点)。

日本橋再生計画の三つの姿勢と四つのおもな取り組みを示す概念図
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「残しながら」で進んだ、20年あまりの歩み

計画が本格的に動き出したのは、2004年(平成16年)に商業施設コレド日本橋が開業したときです。続いて日本橋三井タワーやコレド室町が生まれ、街にあたらしい人の流れができていきました。買い物や食事を楽しむ人が増え、かつてビジネス一色だった日本橋の表情が少しずつ変わっていきます。

2014年(平成26年)にはコレド室町2・3が開業し、2019年(令和元年)には日本橋室町三井タワーも完成します。近年はコレド室町テラスなども加わり、室町を中心ににぎわいが大きく広がってきました。いまの段階では、「豊かな水辺の再生」「新たな産業の創造」「世界とつながる国際イベント」という三つの構想を掲げ、街づくりはさらに先へ進んでいます。

この街づくりの根っこにあるのは、江戸時代に五街道の起点としてにぎわった日本橋を、もう一度「東京の中心」として輝かせるという発想です。新しさだけを追いかけるのではなく、歴史や水辺といった日本橋らしさを軸に据えているところに、この計画の個性があらわれています。

再生計画と、首都高の地下化はどう違う?

ここで一つ整理しておきたいのが、「日本橋再生計画」と「首都高速道路の地下化」の関係です。日本橋再生計画は、三井不動産を中心とした民間の街づくりの総称。いっぽう首都高の地下化は、首都高速道路会社や国、東京都、中央区などが進める公共のインフラ事業です。

つまり、二つは別々の主体による別の事業です。それでも、日本橋川の上に青空を取り戻すという目標を共有し、たがいに歩調を合わせて動いています。「再生計画が首都高を地下に通す」と思われがちですが、そこは役割が分かれていると知っておくと、街の動きがぐっと読み解きやすくなるでしょう。

いまの日本橋で起きていること(2026年6月時点)

2026年6月時点で、日本橋再生計画は第3ステージのただなかにあります。日本橋川の水辺をひらく再開発や、川沿いの新しい街区づくりが各所で進行中です。首都高の地下化工事も動き出しており、街はちょうど大きく姿を変えている過渡期にさしかかっています。

なかでも力点が置かれているのが、日本橋川の水辺をひらく取り組みです。川の上をおおう首都高の高架が地下へ移れば、水面の上に広い空が戻り、川沿いを歩いて楽しめる親水空間が生まれると見込まれています。日本橋という名前の由来でもある「橋」と「川」を、街の主役へと取り戻していく構想です。

川沿いの全体像が整うのは、まだこれからの予定。だからこそ、いまの日本橋は「変わっていく途中」を間近で見られる、めずらしい時期だといえるでしょう。完成した姿を待つのも楽しみですが、工事の囲いやクレーンごしに未来の街を想像しながら歩くのも、この時期ならではの味わいです。

Topicビルの屋上から地上へ。よみがえった福徳神社

「残しながら」という姿勢をいちばんよく表すのが、コレド室町のそばにたたずむ福徳神社です。1100年以上の歴史をもつといわれるこのお社は、街の移り変わりのなかで、長らくビルの屋上などに小さく押し込められていた時期がありました。それが再生計画のなかで2014年(平成26年)に地上の社としてよみがえり、すぐ隣には「福徳の森」という緑の広場も生まれます。古い神様を脇へ追いやらず、街の真ん中へ戻す。その心づかいこそ、この計画の根っこにあるものなのでしょう。

日本橋再生計画に関するよくある質問

「コレド(COREDO)」という名前にはどんな意味がありますか?
核を意味する英語のCOREと、江戸のEDOを組み合わせた造語で、「江戸の中心」を表すとされています。日本橋を東京の商業の核にしたい、という想いが込められた名前です。
日本橋再生計画は、どんな街を目指しているのですか?
江戸時代に五街道の起点としてにぎわった日本橋の中心性を、現代によみがえらせることを目指しています。商業やオフィス、文化、水辺を組み合わせ、人が行き交う街づくりを進めています。
日本橋再生計画は、いつ完成するのですか?
20年以上をかけて段階的に進む長期の計画で、完成の時期はひとつに定まっていません。2026年6月時点では第3ステージが進行中で、日本橋川沿いの水辺づくりなどはこれからの段階です。

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