玉ひでとは

玉ひでとは、東京都中央区の日本橋人形町にある、軍鶏(しゃも)料理の老舗です。創業は宝暦10年(1760年)と伝えられ、260年あまり続く鳥料理の名店。とりわけ親子丼を生んだ店として知られ、昼どきには行列ができることでも有名です。2022年からの改築を経て、2025年11月に新しい建物で営業を再開しました。

玉ひでの歴史の流れと親子丼の成り立ち、創業と建物の対比を示す概念図
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将軍家の御鷹匠から、鳥料理の老舗へ

玉ひでの歴史は、江戸時代なかばの宝暦10年(1760年)にさかのぼるとされています。初代は将軍家に仕えた御鷹匠だったと伝わる家。御鷹匠とは、将軍の鷹狩りに使う鷹を世話する役人のことで、鳥を見る目利きでもありました。その目利きを生かし、軍鶏鍋や鳥すきを出す料理店になっていったといわれます。

看板の親子丼が生まれたのは、明治の中頃(1891年ごろ)のこと。5代目の女将「とく」が考えついたと伝えられます。鳥すきを食べ終えたあと、鍋に残った割り下(甘辛いタレ)と鶏肉に卵を回しかけ、とじたものが原型とされています。鶏と卵をひと鍋でまとめることから「親子」の名がついた、と考えると分かりやすいでしょう。ただし発祥には諸説あり、玉ひでは「親子丼発祥の店とされる」とおさえておくのが正確です。

「創業1760年」と、今の玉ひで

老舗の話で取り違えやすいのが、創業の古さと、建物や場所の新しさです。創業1760年は店の歴史であって、今の建物が江戸時代から建っているわけではありません。玉ひでは2022年から約3年半をかけて建て替えられ、現在はビルになっています。長く続く看板と、新しい器。その両方が今の玉ひでだと考えるとよいでしょう。

もうひとつ、親子丼への思い込みにも補助線を引いておきます。親子丼というと手早く食べる丼物のイメージが強いかもしれません。けれど玉ひでの親子丼は、軍鶏料理の専門店が出す一品。軍鶏(しゃも)はもともと闘鶏にも使われた身の締まった鶏で、玉ひでが使う東京しゃもは、農林水産省の指導のもと東京都と共同で育てられた鶏とされます。歯ごたえと濃いうまみが持ち味で、価格帯も街の丼物とはおのずと違ってきます。なお東京の日本橋人形町の話であり、大阪の日本橋(にっぽんばし)とは関わりがありません。

行列の名店を、どう味わうか

今の玉ひでは、2025年11月に新しいビルで再オープンし、8代目が暖簾を継いでいます。再開に先立つ2025年10月には、人形町のべったら市にあわせた限定営業も行われました。看板の親子丼は数種類。2025年10月時点では、東京しゃもの「元祖親子丼」が約2,800円、「とく親子丼」が約1,900円、「軍鶏づくし親子丼」が約3,700円などとされていました。夜には軍鶏鍋や鳥すきも楽しめます。

昼どきは行列ができることで知られるため、時間に余裕をもって訪れるのが安心です。建て替えにあわせて店の構成も広がり、上層階に高級ラインの店を開く計画も伝えられています。価格や営業時間、予約の可否は変わることがあるので、出かける前に公式の最新情報を確かめておくとよいでしょう。人形町の食べ歩きや水天宮のお参りと組み合わせるのもおすすめです。

Topic親子丼が長く「店では出せなかった」理由とは?

今でこそ玉ひでの看板である親子丼ですが、考案された明治のころは、店の中で出していませんでした。当時は「ご飯に汁をかけた丼物を、格式ある料理店で出すのははしたない」という考えがあったため。そこで玉ひでは、親子丼を出前(仕出し)に限って出していたと伝わります。店内で正式にお品書きへ載せたのは、ずっとあとの1979年(昭和54年)6月から。発祥の店でありながら、長らく”表に出せない一杯”だったわけです。

玉ひでに関するよくある質問

玉ひでへ行くには何駅が近いですか?
東京メトロ日比谷線・都営浅草線の人形町駅が便利です。水天宮や甘酒横丁も歩いて回れる範囲にあり、街歩きとあわせて立ち寄る人が多い立地です。
玉ひでは親子丼のほかに何が食べられますか?
もともとは軍鶏の鍋やすき焼きを供する鳥料理店で、夜はこうした鍋仕立ても味わえます。看板の丼だけでなく、鶏そのものを楽しむ献立がそろっています。
玉ひでは今も予約や行列の状況はどうなっていますか?
昼どきは並ぶことが多い店として知られます。待ち時間を避けたい場合は、受付の方法や予約の可否を事前に公式で確かめておくと安心です。

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