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日本橋人形町とは

日本橋人形町とは、東京都中央区にある地名で、人形町通り甘酒横丁を中心に老舗や名店が集まる、下町情緒の残るエリアです。江戸時代には歌舞伎の芝居小屋が並ぶ芝居町としてにぎわい、その芝居にまつわる人形遣いや人形師が多く住んだことが、町名の由来とされています。水天宮日本橋七福神の社が点在し、食べ歩きと社寺めぐりで訪れる人の多い、日本橋エリアを代表する町のひとつ。

日本橋人形町の町名の由来(3ステップ)と中心軸2本、主な見どころ4つを示す概念図
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芝居町から下町へ、人形町の成り立ち

江戸の初め、この界隈には中村座・市村座という幕府公認の歌舞伎小屋があり、堺町・葺屋町と呼ばれる芝居町をかたちづくっていました。芝居町とは、今でいう劇場が集まる街のこと。歌舞伎だけでなく薩摩浄瑠璃や人形芝居も上演され、人形を操る人形遣いや人形を作る人形師が多く暮らしたと伝えられます。

町名の由来は諸説あるものの、こうした人形にまつわる人々が集まった土地柄から「人形町」と呼ばれるようになったとされています。芝居と人形の記憶が、そのまま地名に残ったわけです。

意外なことに、「人形町」という町名が正式に定まったのは新しく、1933年(昭和8年)のこと。松島町・住吉町・堺町・芳町などいくつもの町がまとめられて「人形町」となり、1976年(昭和51年)の住居表示で今の「日本橋人形町一〜三丁目」が確定しました。江戸期の地図に出てくる旧町名と、現在の住所表記は同じではありません。古い資料で見かける芳町(よしちょう)などの町名は、今の人形町や蛎殻町のあたりにあたります。

「人形町」をめぐる、まぎらわしい区別

人形町を歩くとき、知っておくと迷わない区別がいくつかあります。まず地名と駅名。「人形町」は町の名であり、東京メトロ日比谷線と都営浅草線の駅名でもあります。ただし安産の神様で知られる水天宮へは、隣の蛎殻町にある水天宮前駅(半蔵門線)のほうが近いので、目的地で最寄り駅が変わる点に気をつけたいところ。

次に旧町名と現町名のズレ。芳町など江戸から昭和の旧町名は、現在の住所表記には出てきません。古地図や老舗の由緒書きにある町名は、今のどこにあたるかを一度確かめると読み解きやすくなります。

そして東京と大阪の取り違え。日本橋人形町は東京都中央区の日本橋(にほんばし)エリアにある町で、電気街で知られる大阪市の日本橋(にっぽんばし)とは読みも場所も別ものです。人形町は広い「日本橋」エリアの北東部にあたり、甘酒横丁・水天宮・玉ひで人形焼といった見どころや名物が、この一帯に集まっています。

食べ歩きと社寺めぐりが楽しい町

今の人形町は、下町の手仕事が息づく散策の町。人形町通りと甘酒横丁を軸に、親子丼の玉ひで、七福神をかたどった人形焼、和菓子や惣菜の老舗が軒を連ねます。買ったものを片手に、ぶらぶら歩くのが似合う界隈でしょう。

社寺めぐりも楽しみのひとつ。水天宮のほか、松島神社末廣神社など日本橋七福神の社が徒歩圏に点在し、御朱印と食べ歩きを兼ねた街歩きができます。毎年8月に人形町通りで開かれる「せともの市」は、この町の夏の風物詩。営業時間や開催日は変わることがあるため、出かける前に各店・各社の公式情報を確かめておくと安心です。

Topic今の人形町に、江戸で最初の「吉原」があった?

落ち着いた下町に見える人形町ですが、江戸時代の初め、人形町通りの東側には幕府が公認した最初の遊郭「吉原」が置かれていました。ところが1657年(明暦3年)の明暦の大火をきっかけに、吉原は浅草の近くへ移転します。残された元の場所は、のちに「元吉原」と呼ばれるようになりました。今の地名や町並みからは想像しにくい、江戸初期の意外な顔が隠れているわけです。

日本橋人形町に関するよくある質問

日本橋人形町と日本橋は別の場所ですか?
人形町は広い日本橋エリアの北東部にある町のひとつです。日本橋という呼び名は橋や川、広域の地区を指し、そのなかに人形町や室町、蛎殻町などが含まれます。
人形町の見どころは半日で回れますか?
甘酒横丁や水天宮、日本橋七福神の社が徒歩圏にまとまっているため、食べ歩きと社寺めぐりを半日で楽しむ人が多い町です。御朱印を集めながら歩くのも人気です。
人形焼や親子丼は人形町が発祥ですか?
人形焼は人形町が発祥地とされ、親子丼も町内の玉ひでが発祥の店として知られています。どちらも諸説をふまえつつ、町を代表する名物として親しまれています。

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