伝馬町牢屋敷跡とは
伝馬町牢屋敷跡とは、江戸時代に置かれた牢屋敷(今でいう拘置所と刑場を兼ねた施設)の跡で、現在の東京都中央区日本橋小伝馬町にあります。慶長年間から明治のはじめまで約270年にわたって使われた江戸でも最大級の牢獄でした。安政の大獄で吉田松陰が最期を迎えた地としても知られ、跡地は今、十思公園として整備されています。
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270年つづいた江戸最大級の牢獄
牢屋敷がこの地に置かれたのは慶長年間のこととされ、明治8年(1875年)に市ヶ谷へ移るまで使われました。その間に収容された人は、延べ数十万人にのぼると伝わります。
規模も大きく、1775年(安永4年)以降の敷地は約8,834平方メートル(2,677坪余)。高さ2.4mほどの塀でぐるりと囲まれていました。場所は今の日本橋小伝馬町3〜5番のあたり一帯。罪を待つ人も軽い咎で入った人も、町なかのこの一画に集められていたのです。
今は十思公園、松陰の辞世の句碑が立つ
牢屋敷が無くなったあと、跡地は十思公園として生まれ変わりました。園内の一角には、吉田松陰終焉の地の碑が立っています。安政6年(1859年)、安政の大獄に連座した松陰は、わずか30年の生涯をここで閉じました。
碑には、松陰が獄中で書き残した辞世の句「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」が刻まれています(句碑は昭和14年の建立)。今は牢屋敷の建物は残っておらず、公園と石碑、説明板が往時を静かに伝えるのみ。緑に囲まれた今の姿からは、かつての厳しい牢獄を想像しにくいかもしれません。
Topic公園の鐘は、江戸に時を告げた「石町時の鐘」
伝馬町牢屋敷跡に関するよくある質問
- 伝馬町牢屋敷跡を訪ねると、何が見られますか?
- 牢の建物そのものは残っていません。今は公園として開かれ、松陰をしのぶ石碑や時を告げた鐘が置かれ、案内板で当時の様子を知ることができます。
- なぜ罪人の牢屋敷が日本橋の町なかにあったのですか?
- 江戸の中心に近いこの地は人や物の往来が多く、町奉行の管轄からも都合がよかったとされます。長いあいだ、にぎやかな町と隣り合わせに大きな牢獄が置かれていました。
