冨嶽三十六景 江戸日本橋とは

冨嶽三十六景 江戸日本橋とは、葛飾北斎が手がけた連作浮世絵「冨嶽三十六景」の一図で、人でにぎわう日本橋の上から、はるか遠くの富士山を望んだ風景を描いた作品です。手前に橋を埋める江戸の群衆、その奥に町並みと江戸城、そして小さく富士。近くの喧噪と遠くの霊峰を一枚に収めた構図で広く知られています。

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どんな絵か、日本橋はどう描かれているか

視点は日本橋の上、川下の西の方角を眺めた位置。画面の手前は、橋を行き交う商人や荷物でびっしりと埋め尽くされ、人の頭や笠ばかりが並んでいます。橋そのものはあえて下のほうだけを大胆に切り取り、人の多さで江戸のにぎわいを伝えました。

その奥には、日本橋川の両岸にずらりと並ぶ蔵が、手前から奥へ向かってだんだん小さくなるように描かれています。これは西洋の遠近法(透視画法)を取り入れた表現で、線をたどっていくと一点に集まります。その集まる先に江戸城が置かれ、さらに彼方へ富士山がそびえるという、視線を奥へ奥へと導く仕掛けです。

手前の人いきれと、遠くで静かにたたずむ江戸城や富士。この近景と遠景の対比こそ、この一枚の見どころとされています。

作者とシリーズ、いつ頃の作品か

作者は葛飾北斎。連作「冨嶽三十六景」は天保のはじめ、おおよそ1830年から1832年頃に刊行されたとされ、「江戸日本橋」もそのなかの一図です。富士山を主役に、各地から望むさまざまな富士の姿を集めたシリーズで、この図では江戸の真ん中である日本橋から見た富士が選ばれました。

ここで描かれた日本橋は、江戸時代の木の橋です。今、中央区にかかる石造りのアーチ橋(明治44年・1911年完成)とは別の、古い時代の姿だと知っておくと、絵と現在の橋を取り違えずに楽しめます。

広重の日本橋とどう違うのか

日本橋を描いた有名な浮世絵には、歌川広重の「東海道五拾三次 日本橋 朝之景」もあり、よく混同されます。北斎の本作は「富士山を見るための風景」で、橋はあくまで人が立つ足場という位置づけ。一方、広重の朝之景では橋を渡る大名行列が主役になり、ねらいが大きく違います。同じ日本橋でも、絵師が違えば見せたいものも変わるという好例でしょう。北斎と広重、作者を取り違えないように気をつけたいところです。

Topic「三十六景」なのに、実は全部で46図あるのはなぜ?

題名は「三十六景」ですが、このシリーズは実際には全46図あります。はじめは題名どおり36図で売り出され、江戸で大評判となったため、版元の西村永寿堂が人気に乗じてさらに10図を追加したからです。最初の36図を表富士、追加の10図を裏富士と呼び分け、見分ける目印は輪郭線の色。表富士は藍色、裏富士は墨色の線で刷られています。「江戸日本橋」は先に出た36図のほうに含まれる一枚です。

冨嶽三十六景 江戸日本橋に関するよくある質問

「冨嶽三十六景」の読み方と、ふつうの「富」との違いは?
ふがくさんじゅうろっけいと読みます。シリーズ名には冠の点がない「冨」の字が使われることが多く、富士山を意味する「冨嶽」が題名の由来です。
肝心の富士山は、絵のどのあたりに描かれていますか?
画面のいちばん奥に、ごく小さく描かれています。手前の群衆を大きく、富士を小さく置くことで、近くと遠くの距離感を強調しているのが特徴です。
この作品は今どこで見られますか?
東京富士美術館などが所蔵しています。浮世絵は複数枚刷られたため同じ図が国内外の美術館に収蔵されており、展示替えのある企画展などで実物を見られる機会があります。

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