日本橋蔵屋敷とは
日本橋蔵屋敷とは、江戸期の日本橋南詰東側、元四日市町の河岸通りにあった歴史地名です。現在の中央区日本橋一丁目に含まれます。
建物名だけではなく町地を示す
名称だけを見ると特定の大名の倉庫のように思えますが、日本橋蔵屋敷は資料に残る歴史地名です。日本橋の南詰東側にあり、北は日本橋川、南は元四日市町、東は土手蔵が隣接していました。中央区立京橋図書館の資料によると、明暦の大火のあと、防火のための土蔵が日本橋と江戸橋の間の川岸に建てられ、六・七尺(約2m)ほどの石垣の上に並んだことから土手蔵と呼ばれました。元四日市の商人たちが、塩鮭などの保存庫として使った蔵です。
『御府内沿革図書』には享保17年(1732年)に蔵屋敷ができたとあり、それまで土手蔵だった場所が町屋へ変わったと読み取れます。この一帯は、日本橋南詰から江戸橋南詰まで続いた元四日市河岸の一部。日本橋蔵屋敷そのものは明治2年(1869年)4月に、活鯛屋敷とともに元四日市町へ合併されています。
近くには江戸橋蔵屋敷という似た名の地名もありました。日本橋蔵屋敷は日本橋南詰の東側、江戸橋蔵屋敷は江戸橋南詰の西側で、同じ日本橋川の南岸に土手蔵をはさんで並んでいた別の町地です。町名の移り変わりも異なり、日本橋蔵屋敷は元四日市町へ、江戸橋蔵屋敷は錦町を経て江戸橋という町名になりました。似た名を読み分けるときは、どちらの橋の南詰かを手がかりにすると迷いにくいでしょう。
日本橋トピック♪江戸の出版地にも現れる住所
早稲田大学図書館が所蔵する『全唐詩話』の書誌には、享和元年(1801年)の出版地として「日本橋蔵屋敷(江戸)」、版元として久田治左衛門の名があります。町名の変遷表だけでなく、刊行物の住所表記にも残った地名。当時この一角がどう呼ばれていたかが、思わぬところから見えてくるかもしれません。
日本橋蔵屋敷に関するよくある質問
- 日本橋蔵屋敷は特定の大名の屋敷ですか?
- 違います。一般名詞としての蔵屋敷は、諸藩などが年貢米や特産物を収めて売りさばくために置いた邸を指し、とくに大坂に多くありました。日本橋蔵屋敷はそうした藩の施設名ではなく、『日本歴史地名大系』が独立した地名として立項しているものです。所有藩や保管物は特定されていません。
- 日本橋蔵屋敷という町名は今も使われていますか?
- 使われていません。現在の住所は中央区日本橋一丁目です。名前のほうは、古地図や町名変遷表、江戸期に刊行された本の住所表記の中に見つかります。

