末廣神社とは
末廣神社とは、東京都中央区日本橋人形町にある神社で、日本橋七福神では勝負ごとや財福をつかさどる毘沙門天を祀る社です。社殿の修復中に末広がりの扇が見つかったことが社名の由来と伝わります。江戸初期にはこの一帯に遊郭「吉原」があり、その地主神だった長い歴史を持つのも、この社ならではの来歴。
「元吉原」の地主神だった歴史
意外に思われるかもしれませんが、今の人形町のあたりには、江戸時代の初め(1617年から1657年ごろ)に遊郭の吉原がありました。のちに浅草へ移った吉原(新吉原)と区別して、ここは「元吉原」と呼ばれます。末廣神社は、その元吉原の人々が暮らしを守る地主神としてあがめた社でした。
明暦の大火(1657年)で吉原が浅草へ移ったあとも、社はこの地に残ります。難波町・住吉町など周辺四ヶ所の氏神さまとして、町の人々の信仰を集めてきました。昭和2年(1927年)に今の場所へ移り、戦後に社殿が建て直されています。
日本橋七福神では「毘沙門天」
末廣神社が担うのは、甲冑姿で宝塔と矛を手にする毘沙門天。もとは仏教の守護神で、勝負ごとや財福、厄除けのご利益で知られます。同じ日本橋七福神でも、椙森神社は恵比寿、松島神社は大黒さまというように社ごとに神さまが分かれているので、毘沙門天を拝みたいときはこの末廣神社、と覚えておくとよいでしょう。人形町から目と鼻の先に七つの社が点在し、日本一短い距離で回れる七福神とも言われる巡りの一社です。
Topic社名は、修復中に出てきた一本の扇から
「末廣」という縁起の良い名前には、いわれがあります。延宝3年(1675年)に社殿を修復していたとき、年を経た中啓(ちゅうけい)という扇が見つかりました。中啓は、たたんでも先が末広がりに開く形の扇のこと。これを吉兆と喜んだ氏子たちが、末広がりにあやかって「末廣」の二字を社の名に冠したと伝わります。一本の扇が、そのまま社の名前になったというわけです。
末廣神社に関するよくある質問
- 「末廣」という社名にはどんな意味がありますか?
- 社殿の修復中に末広がりの形をした扇(中啓)が見つかり、縁起が良いとして「末廣」の二字を社号に冠したと伝わります。末広がりは栄えていくことの象徴とされます。
- 末廣神社のあたりに昔は吉原があったというのは本当ですか?
- 本当です。江戸初期にはこの人形町一帯に遊郭の吉原(元吉原)があり、末廣神社はその地主神でした。吉原は明暦の大火の後に浅草へ移り、新吉原となりました。
- 末廣神社の「廣」はどう読みますか?
- 社名は「すえひろじんじゃ」と読みます。「廣」は「広」の旧字体で、末広がりに栄えることを願った縁起の良い字です。
