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与謝蕪村とは

与謝蕪村とは、俳諧と絵画の両方で名を残し、若い時期に日本橋石町早野巴人に学んだ江戸時代中期の俳人・画家です。京都を拠点にした文化人として知られますが、その出発点は日本橋での住み込み修行。京都で大成した蕪村の出発点が日本橋だったとは、意外ではないでしょうか。

日本橋石町で始まった俳諧修行

1716年に生まれた蕪村は、20歳前後で江戸へ出て、夜半亭宋阿とも名乗った早野巴人の門をたたきます。京都国立博物館の解説によると、蕪村は巴人宅に住み込み、俳諧を学びました。巴人は松尾芭蕉の門人だった宝井其角と服部嵐雪に学んだ俳人。蕪村は芭蕉から一世代を挟んで続く俳諧の流れに、日本橋で触れたことになります。

旅を経て、俳人と画家の二つの道へ

1742年に巴人が亡くなると、蕪村は江戸を離れ、北関東や東北を巡りました。その後は35歳を過ぎて京都に居を定め、俳人としてだけでなく画家としても独自の表現を築きます。京都国立博物館によると、代表的な絵画の多くは晩年の作品。中国絵画を手本にした山水画や、俳諧の機知を盛り込んだ俳画を残しました。夜半亭の号は、初世の巴人から二世の蕪村へ受け継がれています。日本橋での師弟関係は、修業の場にとどまらず、名前と教えの継承にもつながっていたのでしょう。

日本橋トピック♪蕪村と「時の鐘」、二つの碑が隣り合う

中央区観光協会の特派員記事によると、蕪村が学んだ夜半亭の跡を示す説明碑は、石町時の鐘の説明碑と隣り合って立っています。場所は日本橋室町四丁目と本町四丁目のあいだ、中央通りから一歩入った通りです。中央区によれば、この一帯はかつて本石町三丁目と呼ばれ、時の鐘が置かれていました。修行の場と、江戸に時を告げた鐘が近所同士だったとわかります。鐘そのものは後に移され、現在は十思公園にあります。

与謝蕪村に関するよくある質問

与謝蕪村と日本橋にはどのような関係がありますか?
20歳前後で江戸へ出た蕪村は、日本橋石町にいた早野巴人のもとへ住み込み、俳諧を学びました。石町は江戸に時を告げた石町時の鐘があった町で、蕪村が学んだ夜半亭の跡を示す説明碑も、時の鐘の説明碑と隣り合って立っています。
与謝蕪村は俳人と画家のどちらですか?
どちらでもあります。俳諧と絵画の両方で活動し、京都国立博物館も「画俳両道」にわたる人物として紹介しています。
与謝蕪村はどこの出身ですか?
現在の大阪市都島区にあたる摂津国毛馬村の出身です。20歳前後で故郷を離れ、江戸へ出ました。

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