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早野巴人とは

早野巴人とは、江戸の日本橋石町に「夜半亭」を構え、与謝蕪村を育てた江戸時代中期の俳人です。夜半亭、宋阿とも号し、松尾芭蕉の門人だった宝井其角と服部嵐雪に学びました。日本橋の町に俳諧の系譜をつないだ人物です。

日本橋石町で蕪村を育てる

巴人は江戸日本橋石町に夜半亭を構え、門人を指導しました。20歳前後で江戸へ出た与謝蕪村も門をたたき、巴人のもとに住み込んで俳諧を学んでいます。単に句の作り方を教えたのではなく、芭蕉の門人である其角・嵐雪から受け継いだ流れを、次の世代へ渡したのが巴人の役割でした。

師の死が蕪村の旅立ちに

巴人自身も江戸だけにとどまらず、京都で活動した後、およそ10年を経て再び江戸へ戻り、夜半亭を構えました。巴人が亡くなると、蕪村は江戸を離れ、北関東や東北を巡ります。後に京都を拠点として俳諧と絵画の両方で名を残す蕪村にとって、日本橋石町で過ごした時間は若き日の修業期。師が京都から江戸へ戻り、門人が江戸から各地へ旅立つという人の動きも見えてきます。巴人を見るときは、著名な門人の「前史」だけでなく、土地を越えて学び、日本橋で次代の人を育てた俳人として捉えると関係が見えてくるでしょう。

日本橋トピック♪「夜半亭」は三代に受け継がれた

夜半亭は巴人だけの号ではありません。初世の巴人から二世の与謝蕪村、三世の高井几董へと受け継がれました。師弟関係が、同じ名を継ぐ系譜として目に見える形で残ったのです。

早野巴人に関するよくある質問

早野巴人の「宋阿」とは何ですか?
巴人が用いた別号です。国立国会図書館の書誌でも「夜半亭宋阿(早野巴人)」と表記されています。
早野巴人の生年はいつですか?
権威ある人名辞典でも1676年と1677年に記載が分かれています。一方、没年は1742年とされています。

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