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歌川国貞とは

歌川国貞とは、江戸時代後期に役者絵と美人画で活躍した浮世絵師です。読みは「うたがわくにさだ」。初代国貞は天明6年(1786年)に生まれ、元治元年(1864年)に亡くなりました。初代歌川豊国に学び、芝居の役者や女性の姿だけでなく、日本橋を題材にした作品も残しています。

別名:三代歌川豊国

国貞と三代豊国は同じ絵師

初代国貞の作品は、「国貞」のほか「三代豊国」の名でも紹介されます。この二つは同じ人物の名前です。名を継いだのは弘化元年(1844年)。ただし、師匠の初代豊国とは別人で、名前を継いだ弟子に当たります。

少しややこしいのは、国貞自身は「二代目豊国」を名乗ったこと。すでに師匠の養子の豊重が二代を名乗っていたため、国貞は三代目として扱われています。「二代」と「三代」が出てくる背景には、こうした名前の継承の事情がありました。

橋と人物を一緒に眺める

シリーズ「東海道名所風景」の東海道 日本橋では、橋を正面から見た構図が目を引きます。手前に人々がいて、橋の奥からは大名行列が向かってくる場面です。人物の着物に目を向けてから橋へ視線を移すと、同じ一枚の中で人の姿と街の風景を楽しめるでしょう。

国貞は武者絵や風景画にも手を広げ、西洋絵画の技法にも関心を寄せました。美人画や役者絵に風景を組み合わせた作品もあり、人物を描く絵師=背景を描かない絵師、ではありません。描かれた顔や衣装に加え、その人が置かれた場所にも目を向けたいところです。

日本橋トピック♪広重をしのぶ絵も国貞が描いた

国貞と歌川広重には、合作「雙筆五十三次」があります。さらに、広重が亡くなった際の死絵を描いたのも国貞でした。死絵とは、亡くなった人をしのぶための肖像です。風景画で知られる広重と人物画を得意とした国貞のつながりは、合作だけでなく追悼の一枚にも残されています。

歌川国貞に関するよくある質問

作者欄が「豊国」だけなら、国貞の作品と考えてよいですか?
名前だけでは判断できません。豊国の名を使った絵師は複数いるので、所蔵館の説明で代数を確かめると安心です。国貞に当たるのは三代豊国です。
国貞の日本橋の絵は、どの作品名で探せますか?
国立国会図書館では「東海道 日本橋」が「東海道名所風景」シリーズの一枚として掲載され、著者欄は「豊国」となっています。中央区立日本橋図書館の館報No.106では、この絵を初代国貞の作品として紹介しています。

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