宇田川榕菴とは
宇田川榕菴とは、植物学や化学をオランダ語の書物から学び、日本語で伝えた江戸後期の蘭学者です。文政9年(1826年)に江戸を訪れたシーボルトと交流し、日本橋を舞台にした日蘭の知識交換にも関わりました。
植物学から化学までを日本語にした
榕菴は1798年、江戸で大垣藩医・江沢養樹の長男として生まれ、14歳で蘭学者・宇田川玄真の養子になりました。幕府天文台の翻訳員として百科事典の翻訳に携わる一方、研究分野は植物学、化学、西洋音楽理論、音声学などに及びます。
代表作は、西洋植物学を解説した『植学啓原』と、化学を体系的に紹介した『舎密開宗』です。「舎密」はオランダ語で化学を意味する言葉の音訳。まだ日本語の専門用語が整っていない学問を、読める形にしたところに榕菴の仕事の大きさがあるのでしょう。
シーボルトとの交流と長崎屋
津山洋学資料館と中央区の記録は、榕菴がシーボルトの江戸滞在時に交流したことを伝えています。当時、現在の日本橋室町四丁目にはオランダ商館長一行の定宿・長崎屋があり、蘭学者や医師が西洋の知識を直接求める交流拠点でした。
長崎屋の建物は現存せず、場所は「長崎屋跡」として残っています。人物の住居跡ではなく、日本橋が海外の知識と出会う場所だったことを伝える史跡と捉えるとよいでしょう。
日本橋トピック♪「酸素」も「珈琲」も榕菴の言葉?
榕菴は「酸素」「水素」「温度」「圧力」などを造語し、「珈琲」の当て字をした人物としても知られています。理科の教科書と喫茶店で目にする言葉が、一人の蘭学者につながります。
宇田川榕菴に関するよくある質問
- 『舎密開宗』の「舎密」は何と読みますか?
- 「せいみ」と読みます。化学を意味するオランダ語の音を漢字で表した言葉で、『舎密開宗』は西洋化学を体系的に紹介した書物です。
- 宇田川榕菴は化学以外の言葉も作りましたか?
- 植物分野では「細胞」「葯」「柱頭」などの用語を造った人物として知られています。

