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大槻玄沢とは

大槻玄沢とは、江戸後期に蘭学塾「芝蘭堂」を開いた蘭学者・医者です。文政9年(1826年)に江戸を訪れたシーボルトと会見・交流しており、日本橋にあった阿蘭陀宿・長崎屋を中心とする日蘭交流の歴史につながる人物です。

オランダ語と西洋の知識を広めた

玄沢は1757年に陸奥国で生まれ、江戸で杉田玄白と前野良沢に蘭学を学びました。長崎への遊学も経て、天明6年(1786年)に江戸詰の仙台藩医となり、のちに私塾の芝蘭堂を開いて多くの門人を育てています。

著書には、蘭学を学ぶための手引きとなった『蘭学階梯』や『重訂解体新書』などがあります。西洋の知識を理解するだけでなく、学ぶ方法を次の世代へ渡したことが、玄沢の大きな役割といえるでしょう。

日本橋でたどる江戸の日蘭交流

中央区の記録では、シーボルトは文政9年(1826年)の江戸滞在中、大槻玄沢をはじめとする蘭学者や医師、天文学者らと会見しました。当時、現在の日本橋室町四丁目にはオランダ商館長一行の定宿・長崎屋があり、蘭学者がオランダ人との直接交流を求めて集まる場所になっていたのです。

長崎屋の建物は残っていませんが、跡地は中央区の区民史跡です。かつての交流拠点を街歩きでたどる手がかりになるでしょう。日本橋の一角が海外の知識を求める人々の交流拠点だったと知れば、玄沢の活動も街の歴史として見えてくるのではないでしょうか。

日本橋トピック♪芝蘭堂で「オランダ正月」を祝った

玄沢は、太陽暦の元日を祝うオランダ正月を芝蘭堂で開きました。寛政6年(新暦1795年)の新元会を描いた画には、ヒポクラテス像を掛けて祝う蘭学者29人が描かれています。西洋の暦に触れる行事は、学びと交流の場でもありました。

大槻玄沢に関するよくある質問

「玄沢」は大槻玄沢の本名ですか?
玄沢は通称です。国立国会図書館は、名を茂質、号を磐水としています。歴史資料では大槻玄沢の名で広く紹介されています。
大槻玄沢がシーボルトと会った場所は長崎屋ですか?
中央区の資料は江戸滞在中の会見と、長崎屋が日蘭交流の拠点だったことを伝えていますが、玄沢個人の会見場所までは特定していません。

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