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高橋景保とは

高橋景保とは、江戸後期に幕府の天文方・書物奉行を務め、地図作製や海外情報の収集に携わった天文学者です。文政9年(1826年)に江戸を訪れたシーボルトと交流し、後のシーボルト事件で処罰対象になりました。

地図と海外情報を扱った幕府の実務家

景保は1785年に生まれ、文化元年(1804年)、父・高橋至時の跡を継いで20歳で幕府の天文方になりました。天文方は暦や天文、地理などを扱う役職です。西洋書の翻訳を進める蕃書和解御用の設置にも関わり、海外事情を知ろうとする姿勢が見えるでしょう。

地図の仕事では『新訂万国全図』を製作し、伊能忠敬の測量をもとにした『大日本沿海輿地全図』の完成を監督しています。日本の位置を国内外の地理情報から捉えようとした実務家でもあったといえるでしょう。

長崎屋につながる交流とシーボルト事件

シーボルトが江戸を訪れた1826年、日本橋室町長崎屋はオランダ商館長一行の定宿で、蘭学者や医師が訪れる交流拠点でした。景保はシーボルトから世界周航記などを受け取り、代わりに国外持ち出しが禁じられた日本地図の写しを渡しました。

国立国会図書館は、景保が世界事情を国益に役立てようとした行為だったと説明しています。しかし地図の授受が発覚して投獄され、死罪の判決前に獄中で亡くなりました。長崎屋跡からは、知識交換が大きな危険も伴った時代が見えてくるのではないでしょうか。

日本橋トピック♪蔵書に「TAKAHASHI」の印を押した

国立国会図書館によると、景保の蔵書印は5種類が判明しています。その中には、漢字の「高橋蔵書」だけでなく、ローマ字で「TAKAHASHI」と刻んだ印もありました。西洋書を扱った景保らしい印ではないでしょうか。

高橋景保に関するよくある質問

高橋景保と高橋至時は同じ人物ですか?
別の人物です。至時は景保の父で、幕府天文方を務めました。景保は1804年に父の跡を継ぎ、20歳で天文方になりました。
高橋景保のオランダ名「グロビウス」とは何ですか?
景保が使ったオランダ名で、Globiusとつづります。シーボルトが景保へ贈った1826年の書籍にも、グロビウス宛ての言葉が記されています。

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