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伊能忠敬とは

伊能忠敬とは、江戸時代後期に全国測量を進め、その成果が「大日本沿海輿地全図」へ結実した1745〜1818年の人物です。50歳を過ぎてから測量家としての道を開いたことは、よく知られる理由の一つでしょう。

佐原の商人から江戸の学びへ

商人として地域を支えた人物が、なぜ全国測量へ向かったのでしょうか。

忠敬は現在の千葉県九十九里町に生まれ、17歳で佐原の伊能家当主となりました。家業を営む一方、名主や村方後見として地域の仕事も担った人物です。その後、家督を譲って50歳で江戸に出ると、幕府天文方の高橋至時に暦学や天文を学び始めます。

17年にわたる測量と地図の完成

忠敬の測量事業は、1800年から1816年まで10回にわたって行われました。沿岸や街道で方位と距離を記録し、広大な成果を積み上げた事業です。ただし、忠敬は地図の最終完成を見届けていません。没後の1821年、幕府天文方の手で全図が完成します。

日本橋茅場町に残る仕事場の記憶

1814年、忠敬は住居を八丁堀亀島町と呼ばれた場所へ移しました。そこは、地図を作る仕事場でもありました。跡地は現在、日本橋茅場町2丁目の「地図御用所跡として案内されています。茅場町駅周辺を歩くとき、測量した道だけでなく、記録を地図にまとめた街として日本橋茅場町を見られるでしょう。

日本橋トピック♪10回すべてを本人が歩いたわけではない

全国測量は計10回ですが、香取市伊能忠敬記念館の年表では、第9次の伊豆七島測量に忠敬本人は参加していません。測量隊と弟子たちが引き継ぐ共同作業だったことが分かります。

伊能忠敬に関するよくある質問

伊能図にはどんな種類がありますか?
代表的なものに、詳しい大図214枚、広い範囲を見られる中図8枚と小図3枚があります。用途に合わせて異なる縮尺の地図が作られました。
佐原の伊能忠敬旧宅と茅場町の地図御用所跡は同じ場所ですか?
別の場所です。佐原の旧宅は忠敬が17歳から49歳頃まで過ごした住まいで、茅場町の地図御用所跡は晩年の住居兼仕事場の跡を伝えています。

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