地図御用所跡とは
地図御用所跡とは、伊能忠敬が晩年の住居を地図作製の仕事場として使った跡を伝える、日本橋茅場町の史跡です。全国を歩いて測った成果が、一枚の日本地図へまとめられていく過程をしのばせます。
測量の成果を地図へまとめる場所
国土地理院によると、伊能忠敬は1800年から1816年まで、日本初の実測による全国測量を行いました。現地に残る建物ではなく、忠敬の晩年の住居兼「地図御用所」があったことを示す場所です。中央区文化財マップでは、日本橋茅場町2丁目に案内されています。
完成は伊能忠敬の死後
測量を終えれば、すぐ地図が完成するわけではありません。各地で記録した方位や距離を整理し、複数の図へ仕上げる作業が必要でした。忠敬が亡くなった後も作業は続き、1821年に幕府天文方が「大日本沿海輿地全図」として完成させています。国立国会図書館は、幕府天文方の高橋景保が完成を監督したと説明しています。
完成した伊能図には、詳しい大図だけでなく、広い範囲を見渡せる中図と小図もありました。現代のように画面を拡大・縮小できないため、用途に応じて縮尺の異なる地図を作り分けていたと考えると、規模をつかみやすいでしょう。
日本橋トピック♪全国図は「畳214枚分」のスケール
伊能図のうち最も詳しい大図は、縮尺3万6千分1で全214枚。国土地理院によると、1枚がほぼ畳1枚ほどの大きさでした。茅場町の仕事場では、歩いて集めた膨大な記録をつなぎ、日本列島の姿へ仕上げる仕事が進められていたのです。
関連用語
地図御用所跡に関するよくある質問
- 伊能図の大図・中図・小図は何が違いますか?
- 主な違いは縮尺と枚数です。国土地理院によると、大図は3万6千分1で214枚、中図は21万6千分1で8枚、小図は43万2千分1で3枚あります。
- 幕府に提出された伊能図の原本は残っていますか?
- 幕府提出図は1873年の皇居火災で焼失しました。伊能家に残された控図も1923年の関東大震災で焼失しています。

