於竹大日如来井戸跡とは
於竹大日如来井戸跡とは、江戸時代に「大日如来の化身」とあがめられた働き者の女性 お竹ゆかりの井戸の跡で、現在の東京都中央区日本橋本町にあります。えびす通り沿いに、いわれを記した碑と説明板。実在の奉公人が信仰の対象になった、めずらしい話の舞台です。
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働き者のお竹、大日如来の化身に
寛永17年(1640年)、18歳のお竹は山形・庄内から江戸へ出て、大伝馬町の馬込家に奉公しました。一粒の米も一切れの野菜も粗末にせず、あまった食べ物を貧しい人に分け与えたと伝わります。やがて羽黒山から来た修行僧が、「お竹は大日如来の化身である」と告げたのだとか。
貧者が集まった「お竹井戸」
この話を聞いた主人は驚き、お竹に台所仕事をやめさせ、持仏堂(自宅の小さな仏間)を建てて手厚くもてなしたといいます。お竹が使った井戸のまわりには、施しを求める貧しい人々が集まり、市のようににぎわったとか。お竹は延宝8年(1680年)に世を去りました。行年58。今この一帯に井戸はなく、本町のえびす通りに碑が残るのみです。なお、お竹が奉公したのは大伝馬町の馬込家、井戸が伝わるのはこの日本橋本町。少し離れた二か所に、お竹の足跡が残ります。
Topicふるさと出羽にも、お竹をまつるお堂が
お竹の評判は、江戸だけにとどまりませんでした。出羽(今の山形県)の羽黒山には、お竹をまつる「於竹大日堂」が建てられ、今も伝えられています。江戸で慕われた一人の奉公人が、ふるさとの霊山でも信仰を集めた。市井に生きた人がここまで敬われた例は、そう多くないのではないでしょうか。
関連用語
於竹大日如来井戸跡に関するよくある質問
- お竹はなぜ「大日如来の化身」と呼ばれたのですか?
- 日々の食べ物を大切にし、余りを困っている人へ惜しみなく施した、その心がけが尊ばれたからだとされます。出羽から来た僧がそう見立てたと伝わります。
- お竹井戸は今も残っていますか?
- 井戸そのものは残っていません。日本橋本町のえびす通り沿いに碑と説明板が置かれ、かつてここに人々が集まった井戸があったことを伝えています。
