日枝神社下町連合渡御とは
日枝神社下町連合渡御とは、日枝神社の祭礼「山王祭」の本祭の年に、日本橋・京橋・茅場町など中央区の氏子各町会の神輿が集まり、中央通りを連合で練り歩く行事です。山車や神輿16基、担ぎ手およそ1万人が一斉に渡御する勇壮な催しで、中央区観光協会の正式名称では「山王祭 神幸祭・日枝神社下町連合渡御」と並べて案内されています(2026年6月時点、公式確認)。
なぜ日本橋茅場町が出発点なのか
渡御の起点となるのは、日本橋茅場町に鎮座する日本橋日枝神社(日枝神社日本橋摂社)です。永田町にある山王日枝神社の摂社で、山王祭のときに神様が立ち寄る「御旅所(おたびしょ)」にあたります。下町連合渡御では、この摂社から神輿が一斉に宮出しされ、中央通りへと繰り出していきます。
もともとは京橋と日本橋の町会が神輿を合同で渡御したのがきっかけとされ、やがて下町全体を巻き込む行事へ広がりました。今では京橋・日本橋・八重洲・兜町・茅場町・八丁堀など、広いエリアの町会が顔をそろえます。
神幸祭との違い、神田祭との関係
山王祭の本祭には、大きく2つの見どころがあります。ひとつは神幸祭(しんこうさい)。鳳凰を飾った御鳳輦(ごほうれん)を中心に、王朝装束の行列が皇居周辺などを巡る「静」「雅」の行事です。もうひとつが下町連合渡御で、担ぎ手が神輿を揺らしながら進む「動」「勇壮」の行事。同じ山王祭でも性格がまるで違うので、混同しないようにしたいところです。
山王祭そのものは、江戸時代に将軍が上覧した「天下祭(てんかまつり)」として知られ、江戸三大祭のひとつに数えられます。神田明神の神田祭(5月)とは、天和元年(1681年)以降、偶数年と奇数年で交互に本祭を行う関係とされています。山王祭の本祭は2年に一度、偶数年の6月。下町連合渡御もこの本祭の年にだけ見られる行事です。
本祭の年の見どころと、訪れ方
下町連合渡御が見られるのは、山王祭が本祭となる西暦の偶数年で、例年6月中旬に行われます。東京スクエアガーデン前を一斉に出発した神輿の列が、中央通り(京橋〜日本橋)を北へ進んで日本橋へ向かう流れが見どころ。巡行の日時にあわせて中央通りには交通規制が敷かれ、沿道から間近に見物できます。開催日や時刻、規制時間は年ごとに決まるため、お出かけ前に中央区観光協会の公式案内で最新の情報をご確認ください。
なお「6年ぶりに復活」と紹介されるのは2024年の渡御のこと。2020年と2022年はコロナ禍で見送られ、2018年以来およそ6年ぶりに帰ってきた回でした。以降の本祭の年も、この流れを受け継いでいます。会場の「日本橋」は東京都中央区のもので、大阪の日本橋(にっぽんばし)とは関係ありません。
Topic渡御の出発点が「御旅所」なのはなぜ?
起点となる日本橋日枝神社は、ただの神社ではなく山王祭の「御旅所」、つまり祭りのあいだ神様が本社から渡ってきて立ち寄る場所です。その始まりは天正18年(1590年)、徳川家康が江戸城に入って日枝大神を崇敬し、御旅所まで神輿を船で迎えたことにさかのぼるとされています。下町連合渡御がこの摂社から出発するのは、400年以上前の「神様が下町へ渡ってくる」という由緒を、今も神輿のかたちで受け継いでいるからなのです。
日枝神社下町連合渡御に関するよくある質問
- 「下町連合渡御」の下町とは、どのあたりを指しますか。
- 京橋・日本橋・八重洲・兜町・茅場町・八丁堀など、日本橋日枝神社の氏子にあたる中央区の各町会のエリアを指します。これらの町会が連合して神輿を出すため、この名前で呼ばれています。
- 山王祭と神田祭はどちらも天下祭と聞きますが、別の祭りですか。
- 別の祭りです。山王祭は日枝神社で偶数年の6月、神田祭は神田明神で奇数年の5月に本祭を行い、江戸時代から交互に開かれてきたとされています。下町連合渡御は山王祭の側の行事です。
- 誰でも神輿を担げますか。
- 神輿は各町会が出すもので、基本は地元の担ぎ手によって担がれます。見物は沿道から自由にでき、通行止めとなる中央通りで間近に渡御を楽しめます。
- 起点の日本橋日枝神社はどこにありますか。
- 東京都中央区日本橋茅場町に鎮座します。地下鉄茅場町駅のそばで、永田町の山王日枝神社の摂社にあたります。渡御の日はここから神輿が宮出しされます。
