江戸三座とは
江戸三座とは、江戸幕府が芝居興行を公認した三つの歌舞伎劇場、中村座・市村座・森田座のことです。当時の江戸では、この三座だけが正式に歌舞伎を上演できました。森田座はのちに「守田座(もりたざ)」と名を改めています。
四座から三座になった理由
もともと公認の芝居小屋は、山村座を加えた四座ありました。ところが正徳4年(1714年)、大奥の女中と役者が関わった「江島生島(えじまいくしま)事件」が起こり、これに連座した山村座が取りつぶされます。以後、江戸で歌舞伎を許されたのは三座だけとなりました。
三座のうち中村座は堺町、市村座は葺屋町(ふきやちょう)にあり、これは今の日本橋人形町のあたり。森田座は木挽町(こびきちょう、今の銀座・東銀座あたり)にありました。日本橋の隣町が、かつて江戸の芝居の中心地だったわけです。
天保の改革で浅草へ移された
転機は江戸時代の終盤。天保12年(1841年)に市村座と中村座が火事で焼けてしまいます。ぜいたくや娯楽を抑える「天保の改革」を進めていた老中・水野忠邦は、にぎやかな町なかでの再建を認めず、三座をまとめて猿若町(さるわかちょう、今の台東区浅草あたり)へ移すよう命じました。こうして芝居町は日本橋・銀座界隈を離れ、浅草へ集約されていったのです。
日本橋トピック♪「櫓を上げる」という言葉の由来は?
公認された三座は、劇場の正面に櫓(やぐら)を掲げることを許されていました。これは幕府公認の興行であるという、いわば営業許可の看板。ここから「櫓を上げる」という言い回しが、芝居や相撲の興行を正式に始めることを指すようになったと伝えられます。今も使われる言葉の根っこが、江戸の芝居小屋にあったというのは面白いところでしょう。
関連用語
江戸三座に関するよくある質問
- 「座」とは劇団のことですか、劇場のことですか?
- 当時の「座」は、劇場の建物と、そこで興行する一座(劇団)の両方を指しました。中村座などは場所の名でもあり、興行集団の名でもありました。
- 江戸三座は今も残っていますか?
- 三座そのものは現存しません。森田座(守田座)の流れはのちに新富座などへ移り変わり、江戸の歌舞伎の伝統は今日の歌舞伎へ受け継がれています。
- 江戸三座と猿若三座は同じものですか?
- ほぼ同じ顔ぶれを指します。天保の改革で三座が猿若町に集められた後は、その地名から「猿若三座」とも呼ばれました。
