日本橋小伝馬町とは
日本橋小伝馬町とは、東京都中央区にある町名で、読みは「こでんまちょう」。江戸時代、公用の荷物や手紙を運ぶ「伝馬(てんま)」の役を担った町で、その名にも歴史が刻まれています。江戸最大の牢屋敷「伝馬町牢屋敷」があった場所としても知られる町です。
目次
「小伝馬町」の名前と伝馬役
中央区の説明によると、町名は名主の宮辺又四郎が伝馬役をつかさどったことに由来するとされています。伝馬役とは、公用の荷物や人を運ぶために馬や人足を差し出す仕事のこと。今でいえば、公的な運送・通信を支えるインフラのような役割でした。
街道を行き交う荷物や情報は、こうした伝馬の仕組みに支えられていました。小伝馬町という名前は、江戸の物流を担った人々の働きをそのまま今に伝えているわけです。
江戸最大の牢屋敷があった町
小伝馬町は、江戸で最も大きな牢屋敷「伝馬町牢屋敷」が置かれた町でもありました。その広さは2600坪(約8595平方メートル)以上。慶長年間(1596〜1615年)にこの地へ移され、明治8年(1875年)に市谷へ移転するまで、250年以上にわたって使われました。
牢屋敷の跡地は、今では十思公園や大安楽寺などになっています。かつて多くの人がとらわれた場所が、緑の公園や祈りの場へと姿を変えている。歴史の重みを静かに感じられる一角です。
Topic吉田松陰が最期を迎えた地
幕末の思想家・吉田松陰は、安政の大獄でこの伝馬町牢屋敷に捕らえられ、安政6年(1859年)10月27日に処刑されました。享年30。跡地の十思公園には「吉田松陰先生終焉之地」の碑と、辞世の句「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」を刻んだ碑が並んで建っています。教科書で知る幕末の出来事が、すぐ足元で起きていたことに気づかされる場所です。
日本橋小伝馬町に関するよくある質問
- 小伝馬町と大伝馬町は何が違いますか?
- どちらも江戸時代の伝馬役に由来する町ですが、担い手も場所も異なります。小伝馬町は名主の宮辺又四郎が、大伝馬町は馬込勘解由が伝馬役を務めたことに由来するとされます。
- 十思公園にある古い鐘は何ですか?
- 江戸の町に時刻を告げた「石町時の鐘」です。もとは本石町にあった鐘で、現在は十思公園に移されて残り、大晦日に撞かれます。
