兜町と渋沢栄一の関係|噂の屋敷や事務所とは?

渋沢栄一 兜町

こんにちは!とーんと♡日本橋編集部です。

2024年に発行された新しい一万円札の肖像に選ばれた渋沢栄一。「近代日本経済の父」とも呼ばれるこの人物が、日本経済の出発点として選んだ街が、東京都中央区の日本橋兜町(かぶとちょう)でした。

兜町には、渋沢栄一にゆかりのある屋敷や事務所の跡が点在し、今も街の名所として受け継がれています。日本初の銀行が生まれ、株式取引所が置かれ、「日本のウォール街」と呼ばれるまでに育った金融街。その礎を築いたのが渋沢栄一でした。

この記事では、近代日本経済の父・渋沢栄一と兜町の関係を、史実をたどりながら整理してお伝えします。「噂の屋敷や事務所」とは何だったのか、その跡地は今どうなっているのか。読み終えるころには、兜町を歩く楽しみがひとつ増えているはずです。

目次

兜町と渋沢栄一の関係|近代日本経済の父が選んだ街

兜町は、江戸時代の埋め立てによってできた、こぢんまりとした街です。隅田川にほど近いこの一帯が、明治以降に日本経済の中心地として大きく発展していきました。その立役者が渋沢栄一です。

渋沢は1873年(明治6年)、日本で最初の銀行となる「第一国立銀行」を兜町に開業させました。その後、自身の邸宅も兜町に構え、証券や金融を中心とした数多くの企業の設立に関わっていきます。渋沢が生涯で関わった企業は約500社にのぼるとされ、そのなかには銀行や取引所、保険、鉄道など、日本の近代産業を支える顔ぶれが並びます。兜町は、その壮大な活動の出発点になった街でした。

渋沢にとって兜町は、住まいであり仕事場であり、新しい経済のしくみを試す実験の場でもありました。銀行をつくり、取引所を呼び、企業を興す。そうやって兜町から日本中へ近代的な経済の枠組みが広がっていったことを思うと、日本経済の中心地・兜町と渋沢栄一は、切っても切れない関係にあったといえます。

渋沢栄一(しぶさわ えいいち)とは

  • 呼び名:「近代日本経済の父」「日本資本主義の父」
  • 主な業績:日本初の銀行・第一国立銀行をはじめ、約500社の企業設立に関与したとされる
  • 兜町とのつながり:第一国立銀行を兜町に開業し、自邸も兜町に構えた
  • 近年の話題:2024年に発行された新一万円札の肖像に選ばれた

渋沢栄一の足跡は兜町だけにとどまりません。兜町周辺ではありませんが、東京駅にほど近い常盤橋公園(千代田区)には、渋沢栄一の銅像が立っています。「東洋のロダン」とも称された彫刻家・朝倉文夫の手によるもので、新一万円札の発行以降、記念に立ち寄る人の姿も見られるようになりました。兜町とあわせて訪ねてみると、渋沢栄一という人物の大きさが立体的に感じられます。

まずは、渋沢栄一と兜町の歩みを年表で見渡しておきましょう。

渋沢栄一と兜町のできごと
1872年(明治5年)国立銀行条例が公布される
1873年(明治6年)日本初の銀行「第一国立銀行」が兜町に開業。渋沢栄一が経営の最高責任者にあたる総監役に就任
1878年(明治11年)渋沢栄一らの出願により「東京株式取引所」が設立される
1888年(明治21年)渋沢栄一が兜町に、辰野金吾の設計による邸宅を構える
1923年(大正12年)関東大震災で兜町一帯が被災し、渋沢の邸宅も失われる
1928年(昭和3年)渋沢邸の跡地に、現在「日証館」と呼ばれるビルが竣工する
2021年複合ビル「KABUTO ONE」が開業し、渋沢栄一ゆかりの「赤石」が移設される
渋沢栄一と兜町のあゆみ(公開情報をもとに編集部作成)
渋沢栄一と第一国立銀行ゆかりの地・兜町
渋沢栄一と第一国立銀行ゆかりの街・日本橋兜町

兜町に残る渋沢栄一の屋敷・事務所跡をたずねて

「兜町に渋沢栄一の屋敷や事務所があった」とよく語られます。実際のところ、渋沢の邸宅は兜町にあり、長く街の発展の中心になっていました。その建物は今も残っているのか、跡地はどうなっているのか。順を追って見ていきます。

渋沢栄一の私邸跡に建つ「日証館」

渋沢栄一は兜町に邸宅を構えていました。一時は深川(現在の江東区)に居を移していた時期もあったとされますが、1888年(明治21年)には再び兜町へ戻り、新たな邸宅を建てています。設計を手がけたのは、のちに東京駅の駅舎などを設計したことで知られる建築家・辰野金吾でした。

渋沢栄一が兜町に構えた私邸
渋沢栄一が兜町に構えた私邸(画像引用元:NHK首都圏ナビ)

写真は、渋沢栄一が兜町で実際に暮らした私邸の姿です。明治の時代にあって、洋風の意匠を取り入れた堂々たる建物だったことが伝わってきます。「もし今も残っているなら、一度は訪ねてみたい」と感じる方も多いのではないでしょうか。

残念ながら、この邸宅は1923年(大正12年)の関東大震災で被災し、失われてしまいました。兜町一帯が大きな火災に見舞われ、街の多くの建物とともに渋沢の邸宅も焼失したと伝えられています。現存していれば近代建築の貴重な遺産になっていたはずで、その点は惜しまれます。

その邸宅の跡地に、震災後の1928年(昭和3年)に建てられたのが、現在「日証館(にっしょうかん)」と呼ばれているビルです。もともとは東京株式取引所の貸ビルとして竣工し、のちに日本証券取引所が設立されたことから「日証館」の名で呼ばれるようになりました。重厚な外観をもつこの建物は、リノベーションを重ねながら現在も使われており、兜町を代表する歴史的建築物として知られています。

渋沢栄一の私邸跡に建つ日証館
渋沢栄一の私邸跡に建つ日証館

渋沢栄一の住まいそのものは残っていませんが、その場所に立つ日証館をたずねることで、近代日本経済の出発点となった土地の空気を感じることができます。場所は下記の地図で確認できます。

渋沢栄一ゆかりの「赤石」は今どこにある?

渋沢栄一と兜町を語るうえで、もうひとつ忘れてはならないのが「赤石(あかいし)」と呼ばれる石の存在です。これは佐渡産の赤い石で、渋沢が1888年(明治21年)に兜町へ邸宅を建てた際、日本経済の繁栄を祈念して運び込んだと伝えられています。渋沢が生涯にわたって大切にした石として知られています。

この赤石は、長らく日証館に置かれていました。古い記事や案内では「日証館で見られる」と紹介されていることがありますが、現在は移設されているため、訪ねる前に知っておきたいポイントです。

「赤石」は現在KABUTO ONEで見学できます
渋沢栄一ゆかりの赤石は、2021年に開業した複合ビル「KABUTO ONE(カブトワン)」へ移されました。KABUTO ONEは東京メトロ東西線・日比谷線の茅場町駅と直結しており、1階のアトリウム空間で赤石を見ることができます。アトリウムは一般に開放されているため、街歩きの途中に気軽に立ち寄れます(2026年5月時点・公式情報で要確認)。

日証館から赤石そのものは移りましたが、渋沢栄一の私邸跡という場所の物語は今も日証館に息づいています。なお、日証館の中には、チョコレートとアイスクリームを楽しめるお店「teal(ティール)」も入っています。歴史ある建物のなかで味わう一皿は、兜町散策のひと休みにぴったりです。お店の詳しい様子は兜町のチョコレートショップ「teal」を紹介した記事でまとめていますので、あわせてどうぞ。

兜町は日本で最初の銀行・株式取引所が生まれた地

兜町が「日本経済の中心地」と呼ばれるようになった理由は、ここで日本初の銀行と株式取引所が誕生したことにあります。渋沢栄一が深く関わったこのふたつの出来事を、順に見ていきましょう。

日本初の銀行「第一国立銀行」の誕生

1872年(明治5年)、明治政府は近代的な銀行制度を整えるため「国立銀行条例」を公布しました。この条例にもとづいて、翌1873年(明治6年)に兜町で開業したのが第一国立銀行です。「国立」と名は付きますが、国が直接運営する銀行という意味ではなく、国の法律にもとづいて設立された民間の銀行を指します。

開業当時の第一国立銀行は、海運橋のたもとに建つ和洋折衷の堂々たる建物に置かれていました。文明開化のころの兜町を象徴する名建築として、当時の人々の目を引いたと伝えられています。日本の近代的な金融が、こうした目を見張る建物から動き出したわけです。

第一国立銀行は、当時の有力な商家であった三井組と小野組が大口の出資者となって設立されました。渋沢栄一は国立銀行条例の立案そのものに携わっており、開業にあたっては官職を辞して銀行に移り、経営の最高責任者である総監役に就任します。のちに渋沢は頭取となり、長く第一国立銀行の経営を率いていきました。

第一国立銀行は、日本で最初の銀行であると同時に、「株式会社」という新しいしくみをとった先駆けのひとつでもありました。多くの出資者から資金を集め、その資金で事業を営むという株式会社の形は、今でこそ当たり前ですが、明治初期にはまだなじみのない画期的な発想でした。お金を預け、貸し、出資し合うという近代的なしくみが、この兜町の銀行から日本中へ広がっていったのです。

日本初の銀行・第一国立銀行が生まれた兜町
日本初の銀行・第一国立銀行が生まれた兜町

その後、第一国立銀行は1896年(明治29年)に普通銀行の第一銀行へと姿を変え、その後の合併や再編を経て、第一勧業銀行をはさみ、現在のみずほ銀行へと系譜がつながっています。創業の地である兜町には今もみずほ銀行の支店が置かれており、日本の銀行発祥の地としての歴史が、街の風景のなかに静かに受け継がれています。

東京株式取引所の設立と金融街・兜町

銀行に続いて兜町に生まれたのが、株式の取引を行うための場でした。1878年(明治11年)、渋沢栄一らの出願によって「東京株式取引所」が設立されます。これは日本で最初の公的な証券取引機関であり、現在の東京証券取引所の源流にあたります。

取引所ができると、その周りに証券会社や仲買人が次々と集まってきます。取引所の値動きをいち早くつかみたい人にとって、そばに店を構えること自体が強みになったからです。こうして兜町は、銀行と取引所を核に証券・金融の街としての礎を築き、やがて「日本のウォール街」と呼ばれるまでに発展していきました。その出発点に、渋沢栄一の構想があったわけです。

金融街・兜町の「今」も知りたい方へ
渋沢栄一が礎を築いた金融街・兜町は、2020年前後から再開発が進み、ホテルやカフェ、文化施設が増えて表情を変えてきました。歴史ある街がどう生まれ変わろうとしているのかは、兜町の再開発・街づくりをまとめた記事でくわしく取り上げています。歴史とあわせて読むと、街の見え方が立体的になります。

よくある質問(FAQ)

Q. 渋沢栄一と兜町には、どんな関係がありますか?

A. 渋沢栄一と兜町は、近代日本経済の出発点として深く結びついています。渋沢は1873年(明治6年)に日本初の銀行「第一国立銀行」を兜町に開業させ、自身の邸宅も兜町に構えました。その後、東京株式取引所の設立にも関わるなど、兜町を金融街として育てた中心人物が渋沢栄一です。

Q. 渋沢栄一の兜町の屋敷は、今も見ることができますか?

A. 渋沢栄一が兜町に構えた邸宅は、1923年(大正12年)の関東大震災で被災し、現存していません。その跡地には、1928年(昭和3年)に建てられた「日証館」というビルが今も建っています。建物そのものは残っていませんが、渋沢の私邸があった場所をたずねることはできます。

Q. 渋沢栄一ゆかりの「赤石」は、どこで見られますか?

A. 渋沢栄一ゆかりの赤石は、かつて日証館に置かれていましたが、現在は2021年に開業した複合ビル「KABUTO ONE」に移されています。KABUTO ONEの1階アトリウムで見学でき、アトリウムは一般に開放されています。最新の公開状況は、訪れる前に公式情報で確認すると安心です(2026年5月時点・要確認)。

Q. 第一国立銀行は、今どうなっていますか?

A. 第一国立銀行は、1896年(明治29年)に普通銀行の第一銀行へと改組され、その後の合併や再編を経て、現在のみずほ銀行へと系譜がつながっています。創業の地である兜町には、今もみずほ銀行の支店が置かれています。

Q. 兜町に渋沢栄一の銅像はありますか?

A. 兜町そのものではありませんが、東京駅にほど近い常盤橋公園(千代田区)に渋沢栄一の銅像が立っています。彫刻家・朝倉文夫が手がけたもので、兜町の渋沢栄一ゆかりの地とあわせて訪ねる人もいます。

Q. ここで紹介している兜町は、東京の日本橋ですか?

A. はい、この記事で紹介している兜町は、東京都中央区の日本橋(にほんばし)エリアにあります。大阪市にも読み方の異なる「日本橋(にっぽんばし)」という地名がありますが、渋沢栄一ゆかりの兜町や第一国立銀行があるのは東京の日本橋のほうです。

まとめ|兜町と渋沢栄一のものがたり

近代日本経済の父・渋沢栄一と、日本経済の中心地として栄えた兜町。日本初の銀行・第一国立銀行が生まれ、東京株式取引所が置かれ、渋沢の私邸が建っていたこの街には、日本の近代がはじまった場所としての物語が幾重にも積み重なっています。

渋沢栄一ゆかりの兜町は、散策にもちょうどよい広さです。実際に歩いて訪ねたい方のために、この記事で紹介したスポットへのアクセスをまとめておきます。

渋沢栄一ゆかりの兜町を歩くなら

  • 日証館:渋沢栄一の私邸跡に建つ歴史的建築。東京メトロ東西線・日比谷線「茅場町駅」から徒歩すぐ
  • KABUTO ONE:「茅場町駅」直結。1階アトリウムで渋沢栄一ゆかりの「赤石」を見学できる
  • みずほ銀行兜町支店:日本初の銀行・第一国立銀行の創業の地。兜町の街なかにある
  • 常盤橋公園(千代田区):渋沢栄一の銅像が立つ。東京駅・三越前駅・大手町駅から徒歩圏

私邸そのものは関東大震災で失われ、ゆかりの赤石も日証館からKABUTO ONEへと場所を移しました。それでも、渋沢栄一が選んだ土地の意味は、日証館やみずほ銀行兜町支店といった街の風景のなかに今も受け継がれています。兜町には、渋沢栄一ゆかりの地のほかにも、地名の由来にかかわるとされる兜神社などの見どころが点在しています。

日本初の銀行や株式取引所、今は亡き渋沢栄一の私邸の跡。日本橋周辺には、こうした浪漫あふれる歴史がまだまだ眠っています。とーんと♡日本橋編集部では、これからも兜町をはじめとした日本橋エリアの魅力を、ひとつずつお届けしていきます。次に日本橋を訪れる際は、少し足をのばして、近代日本経済がはじまった街・兜町を歩いてみてはいかがでしょうか。

目次