【歴史まとめ】高尾太夫さんの言い伝えは本当にあった話なのか【写真】

遊郭のイメージ

こんにちは!とーんと♡日本橋編集部です。

皆さんは、日本橋箱崎町(はこざきちょう)にある高尾稲荷神社のGoogle Mapを眺めていて、不思議な記述を見つけたことはありませんか?
Google Mapで見ると、ひっそりと佇む神社の説明に「遊女高尾太夫を祀る」という一文添えられています。

「高尾太夫(たかおだゆう)」といえば、江戸時代の吉原を代表する伝説的な遊女です。
彼女には、あまりにも有名な「吊るし斬り(つるしぎり)」という衝撃的な最期の伝説が残されています。

2025年の大河ドラマ『べらぼう』や、歌舞伎の演目『高尾懺悔(たかおざんげ)』でも再び注目が集まったこの伝説。
果たしてその悲劇は、本当にあった出来事なのでしょうか?

この記事では、日本橋で働く編集部が以下のポイントを深掘りして調査しました。

  • 高尾太夫の「吊るし斬り」伝説は史実なのか
  • 高尾稲荷神社に祀られている「実体の頭蓋骨」の謎
  • 2026年現在の神社の様子と、Mapが示す場所の雰囲気

華やかな元禄文化の裏側にあった、一人の女性の数奇な運命。
日本橋の歴史散策をする前に、少しだけ時計の針を江戸時代に戻してみましょう。

目次

【歴史解説】日本橋に名を残す「高尾太夫」とは誰なのか?

「高尾太夫(たかおだゆう)」とは、江戸時代の吉原遊郭で最高位の称号を持っていた遊女の名前です。

高尾太夫という名前は個人の氏名ではなく、吉原の名門「三浦屋」で代々受け継がれてきた「源氏名(ブランド名)」でした。
歴史上、高尾太夫を名乗った女性は数名いますが、今回ご紹介する伝説の主役は、その中でも特に有名だった「2代目(または仙台高尾)」とされる女性です。

吉原の最高位「太夫」と寛永三名妓としての実力

高尾太夫の実力は、当時の「寛永三名妓(かんえいさんめいぎ)」の一人に数えられるほど圧倒的でした。
「太夫(だゆう)」とは、美貌だけでなく、和歌・書道・茶道・楽器など、あらゆる教養と芸事を極めた遊女にしか与えられない最高ランクの称号です。

江戸・京都・大阪、それぞれの都市を代表するトップスターたちは以下のように呼ばれていました。

名前拠点特徴・評判
高尾太夫江戸・吉原和歌や俳諧に優れ、書は抜群。比類なき全盛を誇った江戸の華。
吉野太夫京都・島原飛び抜けて器量が良く、あらゆる技芸が達人の域だったとされる。
夕霧太夫大阪・新町しとやかな姿と、抜け目のない眼差しで人気を博した。
※江戸時代の記録に基づく三名妓の特徴

高尾太夫は、栃木県の農家の娘として生まれたといわれています。
三浦屋の主人がその素質を見抜き、吉原へ引き取ったことで、彼女の運命は大きく動き出しました。

「君は今 駒形あたり ホトトギス」
この有名な句も、高尾太夫が詠んだものと伝えられています。まさに才色兼備、日本橋の知的な女性たちが憧れるような存在だったのですね。

2025年大河ドラマや歌舞伎でも注目される「悲劇のヒロイン」

高尾太夫の生涯は、ドラマでも大きな注目を集めています。

昨年放送されたのNHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』では、吉原が物語の重要な舞台となっており、遊郭文化への関心が再燃しています。
また、歌舞伎の世界でも、2025年5月の特別公演で中村七之助さんが高尾太夫を演じる『高尾懺悔(たかおざんげ)』が上演されるなど、彼女の伝説は今なお多くの人の心を惹きつけてやみません。

時代を超えてクリエイターたちを刺激し続けるのは、彼女の人生があまりにも劇的で、謎に満ちているからでしょう。

高尾太夫の最期「吊るし斬り」は本当にあった実話なのか?

結論から言うと、有名な「吊るし斬り」は史実ではなく、後世の創作(フィクション)である説が有力です。

しかし、なぜそのような恐ろしい伝説が生まれ、現代まで語り継がれているのでしょうか。
ここでは、物語としての「伝説」と、歴史学者たちが推測する「史実」の両面を見ていきましょう。

伊達綱宗とのロマンスと「吊るし斬り」伝説の概要

「吊るし斬り」伝説のあらすじは、一人の武士との悲恋から始まります。

当時、仙台藩の若き藩主・伊達綱宗(だてつなむね)は、高尾太夫に心を奪われました。
綱宗は、高尾太夫の体重と同じ重さの小判(現代の価値で数億円規模とも言われます)を積んで彼女を身請けしようとします。

しかし、高尾太夫には心に決めた人がいました。

💔 伝説における悲劇の展開
高尾太夫には、以前から将来を誓い合った恋人「島田重三郎」がいました。
伊達綱宗に強引に身請けされ、船で連れ出された高尾太夫は、隅田川(大川)の上で「操を立てられない」と拒絶します。
激怒した綱宗は、高尾太夫を船の帆柱に吊るし上げ、その場で斬り殺して川へ捨てたとされています。

これが世に言う「吊るし斬り」事件です。
あまりにも衝撃的な最期ですが、これはあくまで「講談や歌舞伎で面白おかしく脚色されたストーリー」だと言われています。

【史実の検証】病死か、長寿か?最新説に見る4つの結末

歴史的な検証においては、高尾太夫の最期については以下の4つの説が存在します。

  • 【説1:病死説】(有力)
    19歳(または20代前半)で病気により亡くなったとする説。当時の遊女は短命な方も多く、最も現実的とされています。
  • 【説2:長寿説】
    身請け後に仏門に入り、77歳まで生きて天寿を全うしたとする説。
  • 【説3:添い遂げ説】
    実は伊達綱宗と仲睦まじく暮らし、子を設けたというハッピーエンド説。
  • 【説4:三浦屋没説】
    身請け話がまとまる前に、吉原の店の中で亡くなったとする説。

伊達綱宗が21歳の若さで隠居させられたのは史実ですが、その理由は「高尾太夫を斬ったから」ではなく、幕府との政治的な問題や、彼の放蕩三昧な生活態度が原因だったようです。

とはいえ、火のない所に煙は立たないもの。
彼女の死を悼む人々が「高尾稲荷神社」を建てて祀り続けてきたという事実は、そこに何らかの強い想いがあったことを証明しています。

それでは、実際にその神社がどのような場所なのか、現在の日本橋箱崎町の様子を見てみましょう。

【現地レポ】日本橋箱崎町「高尾稲荷神社」のMapと現在の姿

Google Mapで「遊女高尾太夫を祀る神社」と表示される場所は、現在も日本橋箱崎町に実在します。

目次