【歴史まとめ】高尾太夫さんの言い伝えは本当にあった話なのか【写真】

遊郭のイメージ

江戸時代の有名な遊女である高尾太夫さんをご存知ですか?
高尾太夫さんには「吊るし斬り」という言い伝えがあります。
とても恐ろしい言い伝えですが…本当にあった話なのでしょうか。

この記事では、高尾太夫さんに関する言い伝えについて、当時の遊郭や写真などをご紹介致します。
高尾太夫さんが祀られている神社についても触れているので、ぜひ最後までお読みください。

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目次

【歴史まとめ】高尾太夫さんとは?【写真】

高尾太夫(たかおだゆう)とは、江戸時代の遊郭・吉原で名を馳せていた遊女のことです。

吉原では、名高い遊女に「太夫」という肩書きが与えられていました。
「高尾太夫」という名前は、源氏名として吉原の三浦屋という店で受け継がれていたものです。

この記事で紹介するのは、2代目の高尾太夫にあたります。
高尾太夫は「吉野太夫」や「夕霧太夫」と共に「寛永三名妓」と呼ばれていました。
名妓とは、優れた芸者のことです。

高尾太夫はとても美しく、書や和歌などの芸事にも秀でていました。
「君は今 駒形あたり ホトトギス」という句は、高尾太夫が作ったとされています。
まさに才色兼備!義理人情にも厚い人だったそうです。

高尾太夫は歌舞伎などの題材にもなっており、現在までその名が語り継がれてきました。

高尾太夫の姿は、以下のとおりです。

高尾太夫は、もともと百姓の娘で栃木県に住んでいました。
三浦屋の主人が栃木県を訪れた際にスカウトし、そのまま吉原に引き取ったのです。

吉原で働いていた高尾太夫は、仙台藩の3代目藩主である「伊達綱宗(だて つなむね)」に想いを寄せられます。
そのた「仙台高尾」も呼ばれていました。

▼伊達綱宗

伊達綱宗
引用元:Wikipedia

伊達綱宗は身請け金として、着物や装飾品を身に付けた高尾太夫と同じ重さのお金を三浦屋に差し出します。
その金額は、現代だと数千万円〜数億円ほどになるのだとか!

身請けとは、客が遊女の借金を肩代わりして、遊郭から引き取ることです。
多くの遊女は貧しい家庭に生まれたり、家族が借金を抱えたりしたことで、お金と引き換えに遊郭に売られています。

借金のカタとして売られた遊女は、遊郭で働くことで家の借金を返していたと言われています。

しかしながら、吉原から借りたお金には高い利息が付きます。
利息に加えて、働くための着物代や生活費も借金にプラスされてしまうため、借金をすべて返すのは不可能に近いことだったようです。

借金を返さずに逃げ出すことを「足抜け」といい、連れ戻されると厳しい罰を受けることになります。
遊女は身請けされない限り、遊郭から出られないような仕組みになっていたのです。

吉原をはじめとした遊郭の華やかさの裏には、厳しい世界が垣間見えます…。

▼吉原の門(入り口)

引用元:太田記念美術館

門の中にある吉原は、多くの男女で賑わっていますね。

吉原では、遊女に会うだけでも多額のお金が必要です。
身請けとなると、かなりの金額がかかります。
そのため身請けは、お金持ちの男性にしかできないことだったのです。

身請けされて遊郭を出られた遊女は、客の愛人になることがほとんどでした。

高尾太夫さんの言い伝えは本当にあった話なのか

高尾太夫の言い伝えである「吊るし斬り」は、実話とされています。
なぜ吊るし斬りされたのかについて、詳しく見ていきましょう。

高尾太夫は伊達綱宗に身請けされる前に、将来を誓い合った人がいました。
その名前を「島田重三郎」といいます。
島田重三郎が客として吉原を訪れた際に、2人は惹かれ合ったそうです。

吉原の遊女には「年季」というものがあり、年季が明けると吉原から出られます。
年季が明ける目安は、遊女になってから10年ほどです。
身請けできるほどのお金を持っていない島田重三郎は、年季が明けるのを待っていたのでしょう。

しかし年季が明ける前に、高尾太夫は伊達綱宗に身請けされてしまったのです。
江戸時代の1659年、高尾太夫が19歳の時でした。

島田重三郎への想いを抱えたままの高尾太夫は、遊郭を出て伊達綱宗と共に隅田川を下る途中で、船から飛び降りようとします。
この行動が伊達綱宗を怒らせてしまい、高尾太夫は船に吊るされ、斬り殺されることとなります。

これが、高尾太夫の言い伝えである「吊るし斬り」です。
なんとも辛い話ですね…。

伊達綱宗は高尾太夫を吊るし斬りした翌年、藩主に相応しくないとして、21歳で隠居を命じられます。
20歳で藩主になった伊達綱宗は、周りの注意を聞かず好き勝手に生きていたようです。

川に捨てられた高尾太夫の遺体は、日本橋川にかかる豊海橋あたりに流れ着き、僧侶に引き上げられます。
悲しい死を遂げた高尾太夫に同情した人々は、社を建てて彼女を「高尾大明神」として祀りました。

この社は現在「高尾稲荷神社」として、日本橋箱崎町に鎮座しています。

高尾稲荷神社の社殿には、高尾太夫の頭蓋骨が安置されているそうです…!
神霊を頭蓋骨ごと祀っている神社は、あまり見かけません。

高尾稲荷神社については、日本橋 高尾稲荷神社のご利益やアクセス情報【名前の由来は?】という記事に詳しく書いてあるので、ぜひお読みください!

高尾太夫さんのまとめ

高尾太夫さんは、江戸時代の吉原で最高級の遊女として名を馳せていました。
多額のお金で身請けされるも、愛する人への想いを断ち切れず「吊るし斬り」という最後を迎えてしまいます。
彼女の気持ちを考えると、胸が痛みますね…。

高尾太夫さんが祀られている高尾稲荷神社は、夜の接客業に携わる女性の願い事を叶えてくれるそうです。
さらに、美容や芸事上達など、才色兼備な高尾太夫さんならではのご利益もあります。

日本橋を訪れた際には、ぜひ高尾稲荷神社を訪れてみてください。

それでは、最後までお読みいただきありがとうございました!

この記事を書いた人

山本と申します。美味しいもの巡りやパワースポットに興味があります♪
日本橋の魅力を精一杯伝えていきたいと思いますので宜しくお願いいたします。

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