鎧の渡し跡とは
鎧の渡し跡とは、橋が架かる前の日本橋川で、日本橋小網町側と兜町・茅場町側を舟で結んだ渡船場の跡です。明治5年(1872年)に鎧橋が架けられるまで渡しが続き、川を挟む町の往来を支えました。
鎧を投じたという源義家の伝説
中央区観光協会は『江戸名所図会』をもとに、源義家が奥州へ向かう途中、この付近で暴風雨に遭ったという伝説を紹介しています。義家が身に着けていた鎧を水中へ投じ、龍神に祈ると無事に渡れたため、「鎧」にちなむ地名が生まれたと伝えられます。
これは史実として確認された出来事ではなく、江戸の地誌に記された伝承です。渡船場の実用的な歴史と、土地に語り継がれた物語を分けて読むと、名前の由来をより丁寧に読み解けるでしょう。
鎧橋のたもとで説明板を探す
中央区の令和8年3月版文化財マップは、説明板の案内地点を日本橋兜町1-3先に掲載しています。中央区観光協会の案内では、日本橋兜町1先の鎧橋橋詰です。渡船の施設が保存されているという意味の「跡」ではなく、説明板から川と橋を眺めて、かつての渡しを想像する場所と考えるとよいでしょう。
中央区のウォーキングマップでは、鎧橋たもとの説明板に載る狂歌も散策のクイズになっています。金融街の景観の中で、橋がなかった時代の水上交通へ視線を戻してみませんか。
日本橋トピック♪歌川広重も描いた「鎧の渡し小網町」
国立国会図書館の資料記録には、歌川広重の『名所江戸百景』の一枚として「鎧の渡し小網町」が残ります。1857〜1859年に刊行された浮世絵の題材になるほど、渡しは江戸の水辺を代表する眺めの一つだったのでしょう。
鎧の渡し跡に関するよくある質問
- 鎧の渡しと鎧橋は同じものですか?
- 同じものではありません。鎧の渡しは舟で川を渡る仕組みで、1872年に鎧橋が架けられるまで続きました。
- 鎧の渡し跡で渡し舟に乗れますか?
- 渡し舟には乗れません。渡船は1872年の鎧橋架橋までに役割を終えており、現地では鎧橋橋詰の説明板から歴史をたどれます。

