妻木頼黄とは
妻木頼黄とは、明治から大正にかけて活躍した建築家で、今も中央区にかかる日本橋(明治44年=1911年に架けられた石橋)の装飾デザインをまとめた人物です。大蔵省の技官として、数々の官庁建築を手がけました。
大蔵省を代表した明治の建築家
妻木頼黄(1860〜1916年)は、工部大学校で学んだのち、アメリカのコーネル大学で建築を修めました。帰国後は大蔵省の技官として活躍し、辰野金吾らと並んで「明治建築界の三大巨匠」の一人とも称されます。代表作には、旧横浜正金銀行本店(今の神奈川県立歴史博物館・重要文化財)などがあります。
日本橋の装飾意匠をデザイン
妻木が手がけた仕事のひとつが、明治44年(1911年)にかけ替えられた石造りの日本橋の装飾意匠です。ここで取り違えやすいのが、橋を飾る麒麟(きりん)や獅子(しし)のブロンズ像。あの像を彫ったのは彫刻家の渡辺長男で、妻木は橋全体の装飾デザインをまとめる立場でした。役割の違いを知ると、橋の見え方も少し変わってきます。
日本橋トピック♪「橋」なのに、建築家がデザインを?
橋づくりといえば土木の仕事という印象がありますが、日本橋はただ川を渡るための橋ではありません。装飾をこらした記念碑のような建造物として造られました。だからこそ、大蔵省を代表する建築家の妻木が意匠をまとめ、彫刻家や鋳物師ら一流の職人が腕をふるったわけです。橋一本に、これだけの顔ぶれが関わったのでしょう。
妻木頼黄に関するよくある質問
- 「明治建築界の三大巨匠」とは誰のことですか?
- 辰野金吾、片山東熊と並べて、妻木頼黄をこう呼ぶことがあります。辰野は東京駅、妻木は大蔵省の官庁建築などを多く手がけました。
- 妻木頼黄の建物は、今でも見られますか?
- 代表作の旧横浜正金銀行本店が、現在は神奈川県立歴史博物館として残っており、国の重要文化財に指定されています。
