谷崎潤一郎とは
谷崎潤一郎とは、1886年(明治19年)に日本橋で生まれ、『細雪』『春琴抄』『陰翳礼讃』などを残した、日本を代表する小説家です。耽美的で官能的な初期の作品から、日本の伝統美を見つめ直す後期の世界まで、幅広い作風で知られています。その文豪としての出発点が、日本橋の町にありました。
生まれは日本橋蛎殻町、今の人形町あたり
谷崎が生まれたのは、東京市日本橋区蛎殻町二丁目(現在の中央区日本橋人形町一丁目あたり)。安産の神様・水天宮にほど近い、下町情緒の残る一画でした。当時の住所表記だった「日本橋区蛎殻町」は、今の住居表示では日本橋人形町に含まれています。生家の地名が変わっているので、「蛎殻町生まれ」と「人形町生まれ」は同じ場所を指していると押さえておくと混乱しないでしょう。
少年期には、近くの阪本尋常高等小学校(阪本小学校)へ通いました。生家の商売はのちに傾きますが、日本橋の町で過ごした幼い日々が、谷崎の感性の土台になったといわれています。
耽美から伝統美へ、移り変わる作風
初期の谷崎は、『刺青(しせい)』や『少年』のように、美しいものへの強いあこがれと背徳的な空想を、華やかな筆で描く作家でした。やがて関西へ移り住んだのち、日本古来の美しさへ関心を深め、王朝文学の香りを現代によみがえらせる新たな境地を開きます。
代表作は、四姉妹の暮らしを描いた長編『細雪(ささめゆき)』、盲目の三味線師と弟子の物語『春琴抄(しゅんきんしょう)』、日本の陰影の美を論じた随筆『陰翳礼讃(いんえいらいさん)』など。ひとりの作家とは思えないほど振れ幅が大きく、それぞれが今も読み継がれています。
Topic文豪が晩年に書き残した、明治の日本橋の原風景
谷崎は晩年、『幼少時代(ようしょうじだい)』という随筆で、生まれ育った明治の日本橋を細やかに回想しています。蛎殻町の町並みや暮らしぶりがいきいきとよみがえる一編で、世界的な文豪の出発点がこの町にあったことがうかがえる作品。今の人形町あたりを歩くなら、かつてここで遊んだ少年が後に大作家になった、と思い描いてみるのも一興でしょう。
谷崎潤一郎に関するよくある質問
- 谷崎潤一郎の生家は、今でいうとどの駅が近いですか?
- 中央区観光協会によると、生誕の地の最寄りは東京メトロ日比谷線・都営浅草線の人形町駅です。下町らしい落ち着いたエリアにあります。
- 谷崎潤一郎は生涯ずっと日本橋に住んでいたのですか?
- いいえ。出発点は日本橋ですが、1923年の関東大震災を機に関西へ移り住み、その地で日本の古典美に傾いた作品を多く書きました。
- 代表作の『細雪』や『春琴抄』は日本橋が舞台ですか?
- どちらも日本橋を舞台にした物語ではありません。日本橋はあくまで作家本人の生まれ故郷で、作品の舞台は主に関西などです。
