菖蒲河岸とは
菖蒲河岸とは、隅田川の西岸で、新大橋と川口橋の間にあった河岸地です。読みは「しょうぶがし」。現在の日本橋浜町三丁目にあたる歴史的な名称で、荷降ろしの場としての河岸は今は残っていません。
旧菖蒲町の名を受け継いだ河岸
江戸期には、浜町二丁目から三丁目にかけての川岸が俗に菖蒲河岸と呼ばれていました。『東京府誌』は、この河岸地を「大川の西岸に在り」と記しています。大川とは隅田川のことで、南北に長い帯状の河岸地でした。1878年3月21日、新大橋の北詰から川口橋までの河岸地が正式に菖蒲河岸と名付けられます。名称は、河岸地が設けられた場所に以前あった菖蒲町の町名を復活させたものとされています。この水辺で、旧町名が河岸名として受け継がれた例といえるでしょう。
日本橋トピック♪年間約13万人が利用した「中洲渡」
1873年、菖蒲河岸には対岸の清住町へ渡る「中洲渡」の乗船場が設けられました。『日本橋区史』には、渡船5隻で年間約13万人の乗降客があったと記されています。橋だけでなく渡し船も、川沿いの暮らしを支えていたことが分かります。
関連用語
菖蒲河岸に関するよくある質問
- 中洲渡の運賃はいくらでしたか?
- 『日本橋区史』を引く中央区立図書館の郷土資料では、渡船料金は1銭と記録されています。
- 旧菖蒲河岸は現在のどのあたりですか?
- 中央区立図書館の郷土資料では、現在の日本橋浜町三丁目17・18・44・45番付近にあたると説明されています。

