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身延別院とは

身延別院とは、東京都中央区日本橋小伝馬町にある日蓮宗(にちれんしゅう)の寺院で、山梨県の身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ=日蓮宗の総本山)の別院です。「別院」とは、本山とは別の場所に設けられたお寺のこと。身延別院は、その久遠寺の東京での拠点のひとつにあたります。

牢屋敷の跡地に建てられた寺

身延別院が建つこの一画は、江戸時代には伝馬町牢屋敷(てんまちょうろうやしき)があった場所です。罪人を収容した江戸最大級の牢屋敷で、明治のはじめに廃止されました。

その跡地に、明治16年(1883年)、日蓮宗の管長だった新居日薩(あらいにっさつ)が祖師堂(そしどう)として創建したのが身延別院の始まりです。いまは高いビルに囲まれた都心の一画に、静かにたたずんでいます。

街歩きで立ち寄る

境内には、牢屋敷で亡くなった人々を弔う御題目供養塔が建ち、油かけ大黒天神(あぶらかけだいこくてんじん)や光明稲荷(こうみょういなり)もまつられています。身延別院は、小伝馬町駅のすぐそば、オフィス街のなかにある小さなお寺。日本橋の歴史をたどる街歩きの途中に、そっと手を合わせてみてはいかがでしょう。

日本橋トピック♪牢屋敷の跡が「並びなき繁昌の霊地」に

関東大震災(1923年)で焼ける前の身延別院は、明治の浮世絵師・豊原国周(とよはらくにちか)の錦絵「村雲鬼子母神堂・願満祖師堂一覧之図」に描かれています。絵の右肩には、小伝馬町のもと牢屋敷の跡に美しいお堂を建てたことが記され、「今は他に並びなき繁昌の霊地とはなれり」と大書されています。身延別院の縁起によると、門前には露天商が並んで名物の太白飴(たいはくあめ)などが売られ、毎月1日と13日はことに大勢の参詣人でにぎわったそうです。牢屋が取り壊されたあと、住む人もなく放っておかれた土地が、明治には人の集まる場所に変わっていました。

身延別院に関するよくある質問

身延別院と、近くの十思公園にある「吉田松陰終焉の地」は同じものですか?
別の場所です。吉田松陰の終焉の地を示す碑は近くの十思公園にあり、身延別院は牢屋敷で亡くなった人々を供養するために建てられた寺です。
身延別院では何にお参りできますか?
油かけ大黒天神や光明稲荷がまつられ、商売繁盛を願う人に親しまれています。

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