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新居日薩とは

新居日薩とは、身延山久遠寺第73世で、日本橋小伝馬町の身延別院を開いた僧です。読みは「あらいにっさつ」。明治初期、伝馬町牢屋敷の跡地で、獄死者を弔う法華の道場づくりの中心を担った僧でもあります。

どんな人?

上野(こうずけ=今の群馬県)出身の日蓮宗の僧で、明治21年(1888年)に亡くなりました。金沢で学んだのち、明治のはじめに身延山久遠寺の73世となり、日蓮宗一致派の初代管長として宗門の改革にあたります。「日蓮宗」という宗名を公に認めさせたこと、子どもを育てる施設「福田会育児院」をつくったことでも知られる人物です。

獄死者の供養から始まった身延別院

身延別院の縁起によると、新居日薩ら僧俗は明治14年(1881年)5月、牢屋敷跡の敷地300坪あまりを買い取ってお堂を建てることを決議しました。翌明治15年(1882年)9月に祖師堂が建てられ、さらに翌16年(1883年)10月に開堂式が行われて、小伝馬町にある身延別院の歴史が始まりました。境内には、日薩が牢屋敷で亡くなった人々を弔って建てた御題目供養塔も残っています。

日本橋トピック♪日薩が広めた「清浄結社」、第一号は日本橋で

身延別院の縁起は『新居日薩略伝』を引いて、祖師堂を建てる事業の中心になったのは「清浄結社」という組織だったと記しています。僧と信者がいっしょに修行する講社で、日薩がその普及に力を注いだもの。その第一結社がここ日本橋に生まれ、島根・福岡・新潟・千葉・長野などへ広がって、やがて全国に法華の団体ができたといいます。

新居日薩に関するよくある質問

新居日薩と新居日薩上人は別人ですか?
同じ人物です。「上人」は僧に対する尊称で、身延別院と日本橋図書館の解説では「新居日薩上人」と表記されています。
身延別院は日蓮宗のどんな寺ですか?
日本橋小伝馬町にある、山梨県の日蓮宗総本山・身延山久遠寺の別院です。十思公園の近くにあります。

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