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渓斎英泉とは

渓斎英泉とは、江戸時代後期に美人画や風景画を描いた浮世絵師です。読みは「けいさいえいせん」。1791年に生まれ、1848年に亡くなりました。菊川英山に学び、葛飾北斎の作品にも影響を受けています。

別表記:溪斎英泉

坂本町に暮らした多彩な絵師

英泉は住まいを移しながら活動し、一時期は日本橋坂本町に暮らしていました。現在の日本橋兜町に当たる旧町名です。ただし、そこに住んだことと、特定の絵をそこで制作したことは分けて考える必要があります。

作品には美人画のほか、風景、武者、相撲、おもちゃ絵などもあります。本の挿絵や文章の仕事も手がけ、美人画だけには収まらない画業でした。輸入顔料による青を生かす藍摺にも取り組み、色の表現を広げた絵師でもあります。

広重とつながる街道の風景

天保6年(1835年)に刊行が始まった木曽街道の連作には、英泉と歌川広重の両方が関わりました。英泉が描いた一枚が木曽街道続ノ壱 日本橋雪之曙です。宿場ごとに作者が異なり、連作全体を一人の作品とは言えません

英泉から広重へ制作が移った詳しい事情は、はっきりしていません。交代の理由を想像するより、作品ごとに誰が描いたかを確かめて眺めると、二人の風景表現を比べやすいでしょう。

日本橋トピック♪日本橋の風景を囲むアルファベット

英泉の「江戸日本橋ヨリ富士ヲ見ル図」は、橋と富士だけでなく、絵の周囲の枠にも目を向けたくなる一枚です。アルファベットのような文字に加え、オランダ東インド会社のVOCを組み合わせた印が入っています。山の陰影や雲にも西洋風の表現が見られ、江戸の景色に異国趣味が重なるところが面白いでしょう。

渓斎英泉に関するよくある質問

「渓斎英泉」と「溪斎英泉」は別の人物ですか?
同じ浮世絵師です。国立国会図書館は「渓」、千葉市美術館の展覧会名は「溪」を使っていますが、いずれも1791〜1848年の英泉を指しています。
洋風の「江戸日本橋ヨリ富士ヲ見ル図」は油絵ですか?
油絵ではなく、国立国会図書館が錦絵として所蔵する版画です。西洋風なのは山や雲などの表現で、技法の種類と絵の見た目は区別できます。

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