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川原慶賀とは

川原慶賀とは、江戸後期の長崎で、来日した西洋人の調査を絵で支えた絵師です。文政9年(1826年)の江戸参府に同行し、日本橋長崎屋を拠点に行われた医学・博物学の交流を、写実的な絵で記録しました。

正式名称:川原慶賀(通称:登与助)

写真のない時代の記録者

慶賀が描いた対象は、動植物、風景、人々の暮らし、道具、医療の場面など多岐にわたります。形だけでなく色や使い方まで分かるように描くことで、外国人研究者が日本の自然や文化を理解する助けとなりました。

江戸参府で日本橋へ

1826年、慶賀はオランダ商館の江戸参府一行に加わり、長崎から江戸まで同行しました。江戸での定宿は日本橋の長崎屋です。長崎屋に集まった医師や学者、その場で交換された資料も、一行が行った日本調査の対象だったといえるでしょう。

日本橋トピック♪西洋風の署名「Toyoskij」

慶賀の作品には「慶賀」の印だけでなく、「Toyoskij」というアルファベット表記が見つかるものがあります。これは通称の登与助に由来するとされ、東西の文化が交わる制作環境を伝える手がかり。

川原慶賀に関するよくある質問

川原慶賀は写真家ですか?
写真家ではなく絵師です。写真が普及する前の時代に、動植物や風景、暮らし、医療の場面などを写実的な絵で記録しました。

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