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桂川甫賢とは

桂川甫賢とは、江戸後期に奥医師を務め、植物研究でもオランダ商館付医員と交流した蘭方医です。文政9年(1826年)3月7日、日本橋長崎屋で動植物の標本を示し、西洋の博物学と日本の本草学を結ぶ知識交換を行いました。

正式名称:桂川国寧(通称:桂川甫賢)

奥医師の家に生まれた植物研究者

甫賢は、幕府に仕える医師を代々出した家系の第6代です。文政10年(1827年)に奥医師、天保2年(1831年)に法眼となりました。医学に加えて植物や薬草に関する知識が豊富で、江戸を訪れた西洋人との交流でも強みになったのでしょう。

長崎屋で標本を見せた日

文政9年の3月7日(現在の暦では1826年4月中旬)、甫賢は宇田川榕菴らとともに、オランダ商館の江戸参府一行が滞在する長崎屋を訪問しました。そこで甫賢が多くの動植物の標本を示したことが、同行者の記録に残っています。長崎屋は、医師や学者が実物を介して知識を確かめる交流拠点だったことが分かるでしょう。

日本橋トピック♪見せたミツマタが標本として残る

甫賢が長崎屋で示した植物の一つが、和紙の原料にもなるミツマタです。甫賢が作成したミツマタの標本と添付文書は牧野標本館に現存し、長崎屋で交わされた知識を今に伝える資料。

桂川甫賢に関するよくある質問

桂川甫賢と桂川国寧は同じ人物ですか?
同じ人物です。国寧が名で、甫賢は通称として使われました。

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