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甚左衛門町とは

甚左衛門町とは、江戸の日本橋にあった歴史的な町名です。読みは「じんざえもんちょう」。現在の日本橋人形町一丁目に関わりますが、今の正式な町名ではありません

新葭町から人形町・小網町へ

『日本歴史地名大系』によると、甚左衛門町は堀江六軒町の南にあった東西の両側町でした。江戸時代の絵図には表記の違いも見られ、延宝期以降には入堀の河岸から東側の元吉原寄りへ位置が変わったとされます。

中央区立図書館の町名変遷図で、甚左衛門町と堀江六軒町の次に示されるのは、明治4年(1871年)6月の新葭町です。その後、小網町芳町の系統に分かれ、現町名の日本橋小網町と日本橋人形町へつながっています。

日本橋トピック♪絵双六に名を残す「百尺楼」

西尾市岩瀬文庫に残る「新版御府内流行名物案内双六」は、幕末刊と推定される絵双六です。江戸の名物・名店を描いた66マスの一つに、「〈甚左衛門町〉百尺楼」が登場します。建物の実際の高さや創業年は、この目録だけでは分かりません。

甚左衛門町に関するよくある質問

甚左衛門町は現在のどのあたりですか?
『日本歴史地名大系』は、現在の東京都中央区日本橋人形町一丁目にあたるとしています。町名変遷図では新葭町を経て小網町と芳町へ分かれるため、現在の住所と一対一で重ねられるものではありません。
古い絵図では違う書き方をされていますか?
『日本歴史地名大系』によると、江戸時代の絵図には「ちん左衛門丁」「ちんさへもん丁」「甚左衛門丁」などの表記で登場します。

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