堀留町一丁目とは
堀留町一丁目とは、日本橋にあった歴史的な町名です。読みは「ほりどめちょういっちょうめ」。旧町域は現行住所の日本橋本町二丁目に対応し、現行の日本橋堀留町一丁目とは別の範囲です。似た住所名をそのまま重ねないことが、古い記録を読む第一歩になるでしょう。
紙問屋「湊屋」の記録が残る
中央区の資料によると、堀留町一丁目には「湊屋」と号する服部家の紙問屋がありました。場所は現行の日本橋本町二丁目7番にあたります。初代仁平治は両国橋付近で煙草屋を開き、堀留町への移転後、三代八左衛門の代に紙商を兼ねました。
この一軒の記録を、町全体の産業構成へ広げることはできません。ただし、商家がどこで営みを続けたかを知る確かな手掛かり。旧町名と現行住所を照合すると、史料の舞台を今の街に置き直せます。
日本橋トピック♪一軒の商家から、162年分の記録が残った
中央区に登録された服部家文書は、1796年から1958年までの1636点に及びます。江戸後期から近代まで、同じ商家の経営や取引を長い時間幅でたどれる資料です。堀留町一丁目という旧町名も、紙問屋の具体的な所在地として記録の中に残りました。
関連用語
堀留町一丁目に関するよくある質問
- 「堀留」という名は、何をしのばせますか?
- 日本橋川から北西へ延びていた2本の入堀です。中央区は、町・通り・橋・交差点などに掘割をしのばせる名称が残ると説明しています。
- 湊屋は紙だけを扱った問屋ですか?
- 紙だけではありません。紙・茶・煙草・下り傘・線香など、8種類の問屋株を所有して多角的に経営しました。
