コンテンツへスキップ

永久橋とは

永久橋とは、かつて日本橋箱崎町日本橋蛎殻町の間で箱崎川に架かっていた橋です。箱崎川の埋め立てに伴って撤去され、橋は現存しません。

浜町新橋から新永久橋まで

中央区立京橋図書館の資料によると、この橋の創架は元禄17年または宝永元年(ともに1704年)で、はじめは「浜町新橋」と呼ばれていました。同じ資料が引く『御府内備考』には、架けられたのと同じ年の宝永元年(1704年)7月に、その名を「永久橋」と唱えるよう命じられたと記されています(元禄から宝永への改元は同年3月)。橋はその後、享保15年(1730年)にいったん取り払われ、享保18年(1733年)11月に架け直されました。

旧永久橋は箱崎町四丁目と蛎殻町一丁目の間にありましたが、関東大震災の被害で廃橋となります。中央区まちかど展示館によると、橋は50mほど下流へ架け替えられ、箱崎町二丁目と蛎殻町一丁目の間に新永久橋として昭和2年(1927年)7月10日に竣工しました。その新永久橋も、首都高速道路の建設で昭和46年(1971年)から昭和47年(1972年)にかけて箱崎川が埋め立てられた際に撤去されました。古い地図で永久橋を追うときは、震災前の橋と復興後の新永久橋を分けて考えると、位置のずれに戸惑わずにすむでしょう。

日本橋トピック♪橋名の由来は一つに決まっていない

永久橋という名の由来には、複数の説が伝わります。中央区立京橋図書館の資料は、箱崎町のある島を永久島と呼んだことにちなむ説と、橋を架けたとされる永井家の「永」と久世家の「久」を組み合わせたとする説の二つを挙げ、同じ紙面で引く『東京府志料』は「橋辺に永久稲荷の社がある故」と記しています。橋があった一帯には今も永久稲荷神社が鎮座し、川沿いの河岸地は永久河岸と呼ばれました。橋が消えたあとも、土地に残った「永久」の名。たどるほど一つに決めきれない面白さがあります。

永久橋に関するよくある質問

永久橋と永代橋は同じ橋ですか?
別の橋です。永久橋は旧箱崎川に架かっていた非現存橋で、永代橋は現在も隅田川に架かる国指定重要文化財です。
永久河岸と永久橋は同じものですか?
同じものではありません。永久橋は橋、永久河岸は旧箱崎川沿いの河岸地を指す名称です。

永久橋に関連する記事