江戸橋蔵屋敷とは
江戸橋蔵屋敷とは、江戸橋の南詰、本材木町の河岸通りにあった歴史地名です。読みは「えどばしくらやしき」。現在の中央区日本橋一丁目に当たり、木更津河岸や江戸橋広小路に接する一帯でした。
土手蔵から町屋へ変わった河岸沿い
『日本歴史地名大系』によると、この場所はもともと川沿いの土手蔵でした。土手蔵とは、堤に沿って建てられた蔵のこと。享保17年(1732年)に許可を受けて町屋となります。西には土手蔵、北には木更津河岸、南には活鯛屋敷と江戸橋広小路がある、水運と商いが結び付く一角でした。
錦町、江戸橋、日本橋へ
中央区立図書館の変遷表では、江戸橋蔵屋敷は同じ中括弧に並ぶ江戸橋木更津河岸地・江戸橋広小路とともに、明治4年(1871年)6月段階の錦町へまとめられました。さらに大震災後の区画整理では江戸橋、現町名では日本橋です。この表は丁目を省いて書く決まりなので、現在の住所としては日本橋一丁目を見ることになります。地名が変わっても、江戸橋南詰という場所が手掛かりになるでしょう。
日本橋トピック♪蔵屋敷という名の地に、釘と鉄の問屋
『日本歴史地名大系』は、文政7年(1824年)の買物案内『江戸買物独案内』に、江戸橋蔵屋敷で今津屋平右衛門が釘鉄銅物問屋と打物問屋を営んでいたと見えることを挙げています。打物とは、鉄を打って作る刃物や道具のこと。蔵が並んだ河岸地は、そのまま金物を積み下ろす商いの場でもありました。
江戸橋蔵屋敷に関するよくある質問
- 土手蔵と江戸橋蔵屋敷は同じものですか?
- 同じ語ではありません。『日本歴史地名大系』は、以前は土手蔵だった場所が許可を受けて町屋となり、江戸橋蔵屋敷という地名で記録された経緯を説明しています。
- 江戸橋蔵屋敷と江戸橋広小路は同じ場所ですか?
- 同じ名称ではありません。江戸橋蔵屋敷の南側に江戸橋広小路が広がっていたとされ、隣接する別の歴史地名として記録されています。

