千葉定吉道場跡とは
千葉定吉道場跡とは、幕末の剣術家千葉定吉が開いた剣術道場の跡で、説明板が現在の東京都中央区八重洲2丁目先に立っています。坂本龍馬が剣の修行に通った道場として知られ、江戸の桶町(今の八重洲・京橋のあたり)にあったことから「桶町千葉道場」とも呼ばれました。
別名:桶町千葉道場/小千葉道場
目次
坂本龍馬が通った道場
千葉定吉(?〜1879年)は、北辰一刀流の使い手でした。嘉永6年(1853年)、剣術修行のために江戸へ出てきた土佐藩士の坂本龍馬(1835〜1867年)が、この定吉の門に入ったとされています。
もっとも、定吉は当時、鳥取藩に仕えて多忙だったため、龍馬は実際には定吉の息子・千葉重太郎のもとで稽古に励んだとも考えられています。安政5年(1858年)の正月には、定吉から北辰一刀流の目録を授けられました。
「玄武館」と混同しやすいので整理
ここで取り違えやすいのが、同じ「千葉道場」でも有名な玄武館との違いです。北辰一刀流をひらいたのは、定吉の兄千葉周作。その周作の道場が神田お玉ヶ池(今の千代田区岩本町あたり)の玄武館で、江戸三大道場のひとつに数えられました。
一方、この地にあったのは弟・定吉の道場。兄の玄武館に対して「小千葉」と呼ばれました。「千葉道場」と一括りにすると兄弟の道場を取り違えてしまうので、玄武館=兄・周作/桶町千葉道場=弟・定吉と覚えておくと混乱しません。
Topic龍馬がこの道場で授かったのは「なぎなた」の目録だった?
剣の達人というイメージの強い龍馬ですが、この道場で千葉定吉から授かったと伝わる目録は「北辰一刀流長刀兵法」のもの。長刀は「なぎなた」と読み、長い柄の先に反った刃をつけた武器です。龍馬がなぎなたの技も学んでいたというのは、ちょっと意外な一面ではないでしょうか。剣だけでなく多彩な武術を身につけていた様子がうかがえます。
千葉定吉道場跡に関するよくある質問
- 千葉定吉道場跡は日本橋にあるのですか?
- 住所は中央区八重洲で、日本橋エリアのすぐ隣、京橋寄りにあたります。江戸時代の「桶町」という町にあった道場で、今はオフィス街に説明板が立っています。
- 千葉定吉道場跡を訪ねると、何が見られますか?
- 道場の建物は残っていません。ビルの並ぶ通り沿いに説明板があり、ここに坂本龍馬ゆかりの道場があったことを静かに伝えています。
