果物食堂とは
果物食堂とは、千疋屋総本店が明治のはじめに開いた、果物をその場で味わえる店のことです。今のフルーツパーラーの前身にあたり、果物を売るだけでなく「食べさせる」という、当時としては新しい商いの形でした。
明治元年、果物を「食べさせる」店として
果物食堂が生まれたのは明治元年(1868年)。千疋屋総本店の三代目大島代次郎が、今の本店の向かいにあたる日本橋の浮世小路(うきよこうじ)の角に、洋風3階建ての店舗を建てて開きました。当時、果物はまだ高価な贈り物の品。それを切り分けてその場で食べさせる店は、めずらしい存在だったわけです。
千疋屋総本店の公式によると、この果物食堂は我が国初の果物専門店であり、フルーツパーラーの前身とされています。果物店が「食べる場」を持つという発想は、果物の楽しみ方そのものを広げていきました。
今に続くフルーツパーラー、似た名前の混同に注意
果物食堂の流れは、今の千疋屋総本店に受け継がれています。本店は2005年から日本橋室町の日本橋三井タワーにあり、その2階がフルーツパーラー&レストラン。旬の果物を使ったパフェやデザートを、明治から続く「その場で味わう」形で楽しめます。
ひとつ、混同しやすい点に補助線を引いておきましょう。「日本初のフルーツパーラー」を掲げるのは、暖簾分けした別会社の銀座千疋屋だとされます。銀座千疋屋がそのパーラーを開いたのは大正2年(1913年)のこと。千疋屋総本店の果物食堂(明治元年)とは、別の会社の別の店の歩みなので、同じ千疋屋の名でも分けて考えておくと分かりやすいでしょう。
Topic「果物食堂」は、果物だけの店ではなかった?
名前だけ見ると果物専門の店に思えますが、果物食堂は「気軽に西洋風の食事やデザートを楽しめる店」をコンセプトに開かれたと、千疋屋総本店は紹介しています。つまり、果物やデザートに加えて、ハイカラな西洋風の食事も出すお店だったわけです。文明開化まもない明治のはじめに、果物と洋食を一緒に味わえる場をつくった点に、時代の先をいく気質がうかがえます。
果物食堂に関するよくある質問
- 果物食堂は今もありますか?
- 果物食堂という名前の店は今は残っていません。ただし、その役割は千疋屋総本店のフルーツパーラーへ引き継がれ、明治から続く『その場で果物を味わう』楽しみは今も健在です。
- フルーツパーラーとはどんな場所ですか?
- 果物を主役にしたパフェやケーキを、喫茶店のようにその場で味わえるお店です。果物専門店が母体になっていることが多く、果物食堂はその源流のひとつにあたります。
