葛飾北斎とは
葛飾北斎とは、江戸時代後期の1760年から1849年に生きた浮世絵師で、富士山を描いた連作「冨嶽三十六景」で世界に知られる人物です。生まれ育ったのは今の墨田区あたり(江戸の本所割下水)でしたが、川向こうの日本橋もたびたび題材にしており、日本橋を語るうえで覚えておきたい絵師の一人といえるでしょう。
代表作「冨嶽三十六景」と日本橋
北斎の代表作が、70代の頃(天保の初め・1830年代前半)に手がけた「冨嶽三十六景」です。さまざまな場所から見える富士山を描いた全46図の連作で、波間に富士をのぞかせる「神奈川沖浪裏」は世界的にもよく知られています。
このシリーズには「江戸日本橋」という一図もあります。橋を行き交う人々の賑わいを手前に置き、その先に江戸城、さらに遠くへ富士山を配した構図です。北斎は橋そのものを大きく描くのではなく、人の往来で日本橋の活気を表しました。当時の日本橋が、全国へ道が伸びる江戸の中心であったことがうかがえます。
広重との違い、人物と作品の違い
同じ江戸後期の浮世絵師に歌川広重がいて、よく並べて語られます。北斎は富士山を主役にした「冨嶽三十六景」、広重は東海道の宿場を描いた「東海道五十三次」と、得意とした題材が違うのが大きな分かれ目。どちらも日本橋を描いていますが、別の絵師による別の作品です。
もうひとつ気をつけたいのが、北斎という「人物」と、冨嶽三十六景という「作品」の区別。日本橋を描いた一図は作品の一部であって、橋や地名そのものの歴史とは切り離して読むと整理しやすくなります。
北斎の絵を見られる場所
北斎の作品は、生地の墨田区にあるすみだ北斎美術館(2016年11月開館)をはじめ、太田記念美術館や東京富士美術館などで鑑賞できます。展示は時期で入れ替わるので、お目当ての作品があるときは各館の公式情報で会期を確かめてからどうぞ。日本橋を歩いたあとに「江戸日本橋」の一図を眺めれば、同じ場所の景色の移り変わりが見えてくるでしょう。
Topic北斎は生涯で93回引っ越したって本当?
北斎は引っ越し好きとして知られ、明治時代に書かれた伝記「葛飾北斎伝」には、90年の生涯で93か所も移り住んだと記されています。部屋が散らかっても掃除をせず、汚れると住まいを変えてしまう人だったと伝わります。さらに画号(絵師としての名前)も春朗、北斎、為一など30回以上も変えたとされ、転居も改号も極端に多い絵師でした。ただし93回という回数には誇張の説もあり、太田記念美術館も内訳に疑問を示しています。数字は伝承として受け止めるのがよさそうです。
葛飾北斎に関するよくある質問
- 北斎はなぜ何度も名前(画号)を変えたのですか?
- 理由ははっきりしませんが、生涯で30回以上も画号を変えたとされ、生活費のために名前を弟子へ譲ったとも伝わります。春朗、北斎、為一など、時期によって名乗りが変わるのが北斎の特徴です。
- 北斎は何歳まで絵を描いていたのですか?
- 数えで90歳まで生きた長命の絵師でした。晩年まで創作意欲が衰えず、亡くなる間際まで絵の腕をさらに高めたいと願っていたと伝えられています。
- 「冨嶽三十六景」は全部で36枚なのですか?
- 名前は三十六景ですが、人気が出て追加され、実際には全46図あります。そのうちの一枚が、日本橋の賑わいの先に富士を望む「江戸日本橋」です。
