三浦按針遺跡とは
三浦按針遺跡とは、江戸時代の初めに徳川家康へ仕えたイギリス人 三浦按針(ウィリアム・アダムス)の屋敷があったと伝わる場所で、現在の東京都中央区日本橋室町にあります。按針通り沿いに記念碑が立つ東京都指定の旧跡です。日本へ来た最初のイギリス人ともいわれる人物、そのゆかりの地。
目次
家康に重用された最初のイギリス人
三浦按針、本名ウィリアム・アダムス(1564〜1620年)は、オランダ船リーフデ号の航海士として豊後(今の大分県)に流れ着きました。やがて徳川家康の信任を得て外交顧問となり、造船や航海術、数学などを教えたと伝わります。帰国を願っても許されず、日本にとどまって幕府を支えた異国の家臣でした。
旧町名「安針町」と按針通りに残る名
家康はアダムスに江戸日本橋の居宅を与え、相模国三浦郡(今の横須賀あたり)に250石の領地も授けました。日本名「三浦按針」は、この三浦という地名と、水先案内人を意味する「按針」を合わせたもの。屋敷のあった一帯は江戸から昭和7年まで「安針町(あんじんちょう)」と呼ばれ、今も按針通りにその名が生きています。
建物や遺構は残っていません。按針の事績をしのぶ記念碑が立つのみ(昭和5年に建立、戦後に再建)。石碑と通りの名だけが、四百年前にこの地で暮らした異国人のことを今に伝えてくれます。
Topic「按針」は、もともと職業の名前だった
「按針」とは、もともと船の進む方角を定める水先案内人(みずさきあんないにん)を指す言葉です。アダムスはすぐれた航海の知識を買われて家康に仕えたため、その職をあらわす「按針」が日本名や町名に使われました。人の名が職業に由来し、それがそのまま地名(安針町)や通り名(按針通り)として四百年後の今に残っている。地図の中に歴史がそっと溶け込んでいる、その一例といえるでしょう。
三浦按針遺跡に関するよくある質問
- 三浦按針遺跡には、当時の建物が残っていますか?
- 屋敷そのものは現存しません。今は按針通りのほとりに碑が置かれ、ここが彼ゆかりの地だと教えてくれます。石碑は昭和のはじめに建てられ、いちど失われたのち建て直されました。
- 「三浦按針」という日本名は、どこから来たのですか?
- 領地のあった相模の三浦という地名に、船を導く役目を表す『按針』を重ねた呼び名だとされます。もとの名は、日本に渡った英国人ウィリアム・アダムスでした。
