薬種問屋の集積地・本町とは
薬種問屋の集積地・本町とは、江戸の旧本町三丁目を中心に薬の原料や製品を扱う問屋が集まり、江戸・東京の薬種市場として栄えた地域です。範囲は現在の日本橋本町の一部に加え、日本橋室町にもまたがります。
薬の流通と品質を支えた問屋街
旧本町三丁目では薬種問屋が軒を連ね、その南隣の伊勢町には享保7年(1722年)から元文3年(1738年)まで和薬種改会所が置かれました。これは和薬種の真偽や品質を検査する機関でした。品物を集めて売る問屋と、品質を確かめる仕組みが近接していたことから、当時の本町が薬の流通拠点だった様子が具体的に見えてくるでしょう。
記録と街歩きでたどる本町の薬業史
関東大震災や空襲によって街区は変わり、多くの記録も失われました。それでも、東京薬事協会所蔵文書の40点が享保10年(1725年)から昭和18年(1943年)までの取引を伝えています。現在は福徳の森に薬祖神社があり、周囲の玉垣に刻まれた製薬会社名からも、この地域と薬業のつながりを感じられます。歴史上の本町三丁目と現在の日本橋本町は同じ範囲ではありません。文化財マップと照らして歩けば、江戸の問屋街と現在の街路の位置関係を理解しやすいでしょう。
日本橋トピック♪江戸の薬種問屋にも品質ルールがあった?
東京薬事協会所蔵文書に残る嘉永6年(1853年)の「定」には、毒薬・贋薬・疑わしい薬種を売買しないといった7カ条が記されています。江戸の薬種問屋にも、安全性と信用を守る具体的な取り決めがあったのです。
関連用語
薬種問屋の集積地・本町に関するよくある質問
- 薬祖神社は江戸時代から福徳の森にありますか?
- いいえ。東京薬事協会が入るビルの屋上に鎮座していた社殿が、2016年に福徳の森(日本橋室町二丁目5番)の新社殿へ遷座しました。祀られているのは、医薬の祖神とされる大己貴命と少彦名命です。
- 東京薬事協会所蔵文書にはどんな近代資料がありますか?
- 薬種商の営業免許鑑札や組合員名簿、問屋ごとに異なる証印を使った金銭領収帳簿などがあります。近代の薬種取引と業界組織を知る資料です。

